霊場巡り」四条畷神社・大阪府四条畷にある神社で建武中興の十五社の一社である。南軍の将として戦い、四条畷の戦いに敗死した楠木正成

霊場巡り」四条畷神社・大阪府四条畷にある神社で建武中興の十五社の一社である。南軍の将として戦い、四条畷の戦いに敗死した楠木正成(大楠公)の息子楠木正行を祀る神社である。主祭神に楠木正行を祀り、二四柱の相祀楠木政時、楠木正家子息、和田賢秀、和田正朝、和田紀六左衛門子息、大塚惟久、畠山興三職俊、畠山六郎、野田四郎、野田四郎子息、野田四郎子息、金岸(某)金岸(某)弟、関住良円、関住良円子息、三輪西阿、三...

“日本名僧・高僧伝”19・円珍(えんちん、弘仁5年3月15日(814年4月8日)- 寛平3年10月29日(891年12月4日))は、平安時代の天台宗の僧。天台寺門宗の宗祖。

“日本名僧・高僧伝”19・円珍(えんちん、弘仁5年3月15日(814年4月8日)- 寛平3年10月29日(891年12月4日))は、平安時代の天台宗の僧。天台寺門宗の宗祖。諡号(しごう)は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。弘仁5年(814年)讃岐国(香川県)金倉郷に誕生。多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。俗姓は和気。字は遠塵。空海(弘法大師)の甥(もし...

>『浪速史跡めぐり』大村益次殉難報国碑・上町筋は難波宮の向い角に大きな「大村益次郎殉難報国碑」建っている

『浪速史跡めぐり』大村益次殉難報国碑・上町筋は難波宮の向い角に大きな「大村益次郎殉難報国碑」建っている。山口県出身の大村益次郎は緒方洪庵の適塾に学び、宇和島藩や江戸幕府に用いられたが、やがて長州に呼び戻され、第二次長州征伐に用兵を認められた。後に討幕軍の総司令官となり、兵部大輔に任じられて、徴兵制度など近代日本の陸軍の構想を立て「日本陸軍の祖」と言われている。明治二年に暴徒に襲われ重症を負い、浪華...

『戦国時代の群像』78(全192回)「黒田 孝高」(1546~1604)戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった

『戦国時代の群像』78(全192回)「黒田 孝高」(1546~1604)戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。諱(実名)は初め祐隆、孝隆、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名と...

『歴史の時々変遷』(全361回)151”吉田郡山城の戦い“ 「吉田郡山城の戦い」天文9年(1540)から天文10年(1541)まで安芸国吉田の吉田郡山城(

『歴史の時々変遷』(全361回)151”吉田郡山城の戦い“「吉田郡山城の戦い」天文9年(1540)から天文10年(1541)まで安芸国吉田の吉田郡山城(現・広島県安芸高田市)周辺で行われた、大内氏に従属していた毛利氏当主・毛利元就と尼子詮久(後の尼子晴久)との戦い。実際は城外での戦闘が主で、いわゆる籠城戦ではなかったため、郡山合戦とも呼ばれる。安芸国の吉田を治める国人領主であった毛利氏は、周防の大内氏に長年服属し...