「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

「西国観音三十三所巡り」穴太寺・”西国21番札所“亀山市は摂丹街道の、のどかな田園風景の中に、古風で重厚な伽藍が突如視界に入る。

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「西国観音三十三所巡り」穴太寺・”西国21番札所“亀山市は摂丹街道の、のどかな田園風景の中に、古風で重厚な伽藍が突如視界に入る。丹波路の古刹「穴太寺」で西国三十三カ所二十一番札所である。正式は菩提山穴太寺である、地域のひとびとからは「あなおさん」と親しまれ、文武天皇の勅願で左大弁は大伴古麻呂が本尊薬師如来を安置して創建された。札所の本尊は聖観音菩薩である。この聖観音像は応和二年(962)丹波国郡司宇治宮成が京都の仏師に造らせたが、その像を廻る不思議な説話集「今昔物語集」が由縁を伝えている。宮成は仏師に観音像の出来の良さに大切にしていた名馬を与えたが、その名馬が惜しくなり家臣に命じ仏師を矢で射って殺させた。帰った宮成は、観音像の胸に矢が突きさって射るのを見て京都の仏師に使いを向け確かめると、仏師も馬も無事だった。宮成は改心、後日夢枕に観音が立ち、「傷の治癒をするため穴太寺の薬師如来に連れて行け」のお告げに穴太寺に治めたと言う。その伽藍も応仁の乱で戦禍に逢い焼失、再建後も明智光秀の丹波平定に焼失した。今日の荘厳な伽藍は江戸期の再建によるものである。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「西国観音三十三所巡り」勝尾寺・西国23番札所“大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。西国三十三所の第二十三番札所。開山は開成、本尊は十一面千手観世音菩薩

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「西国観音三十三所巡り」勝尾寺・西国23番札所“大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。西国三十三所の第二十三番札所。開山は開成、本尊は十一面千手観世音菩薩である。伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀四年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約四十年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子である開成が二人に師事して仏門に入った。宝亀八年(777年)、開成は念願であった大般若経六百巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀十一年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶四年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶四年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治四年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。承元四年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。

「西国観音三十三所巡り」播州清水寺・西国10番札所“兵庫県加東市平木・本尊十一面観音菩薩・西国二十五番札所・創建は推古三十五年

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「西国観音三十三所巡り」播州清水寺・西国10番札所“兵庫県加東市平木・本尊十一面観音菩薩・西国二十五番札所・創建は推古三十五年(627)推古天皇の勅願によってインド僧の法道仙人が根本中道を建立、上人自ら一刀三礼として刻んだ秘仏十一面観音と脇侍の毘沙門天、吉祥天の像を安置し、鎮護国家と豊作を祈願した。その後、行基がこの地を訪れ、聖武天皇の命により緒尊を刻み、大講堂を建立して刻み安置した。寛治五年(1091)平清盛の母祇園女御が当寺に帰依し、観音霊像に帰依して大宝塔を建立し、次いで後白河法皇が常夜灯を池ノ二位は薬師堂を、頼朝は阿弥陀堂を寄進、建立をしたという。寺名については法道は標高552Mの御岳山山頂にあって水の確保に苦労したために、法道が水神に祈りを捧げた所、霊水が湧き出したと言う。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「西国観音三十三所巡り」西国観音札所第四番札所、施福寺は金剛葛城山系の槙尾山(約500M)の山頂近くにあって、西国観音巡拝で難所の所

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「西国観音三十三所巡り」西国観音札所第四番札所、施福寺は金剛葛城山系の槙尾山(約500M)の山頂近くにあって、西国観音巡拝で難所の所、駐車場から寺院まで四,五キロはあるのでは、健脚でも三〇分は掛かり、四十五分で施福寺に辿り着けた。施福寺は天台宗、本尊は十一面千手観音菩薩、この寺院の創建は古くは葛城修験系の寺院として創建、欽明天皇時代に播磨国加古郡の行満上人が創建したと伝えられる。千手観音についてこのような説話が残されている。宝亀二年(771)槙尾山寺に住んでいた摂津国の僧、法海のもとに、風体の悪い修行僧が現れ、夏の期間だけ、この寺で過ごさせてくれと頼んだ。その修行僧は熱心に行に励んだ。やがて辞去する際に。客僧は帰りの旅費を乞うた、それは寺僧は断った。客僧は怒りだし「この寺にはこの寺は見かけばかりで真の修行者はいない。やがて滅ぶだろう」と言って去った。驚いた寺僧は後を追って行くと、遥か海上を沈みもせず歩く修行僧を見て、観音の化身と知って千手観音菩薩を刻んだという。その他役行者・行基・空海、などの伝説が残されている。南北朝時代には戦火を受け衰退したが德川家の援助で復興がなされた。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。


「西国観音三十三所巡り」松尾寺・京都府舞鶴市にある真言宗醍醐派の寺院。西国三十三所第29番札所

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「西国観音三十三所巡り」松尾寺・京都府舞鶴市にある真言宗醍醐派の寺院。西国三十三所第29番札所。舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置する。毎年5月8日に行われる仏舞は有名。本尊は馬頭観世音菩薩坐像。寺伝によれば、中国から渡来した威光上人が慶雲五年(708年)ここに草庵を結び馬頭観音像を安置したのが創始とされている。本尊馬頭観音坐像は秘仏である。西国巡礼の中興の祖とされる花山法皇の一千年忌を記念し、2008年から2010年にかけて西国三十三所の全札所寺院において「結縁開帳」が行われた。松尾寺本尊の「結縁開帳」は2008年10月1日から2009年10月23日まで行われたが、これは前回の開帳(1931年)以来、77年ぶりのことであった。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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