『鎌倉・室町の群像伝』七十六”瑩山“ 瑩山紹瑾(1268~1325)曹洞宗の僧。高祖道元に対して、太祖と呼ばれている。

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『鎌倉・室町の群像伝』七十六”瑩山“
瑩山紹瑾(1268~1325)曹洞宗の僧。高祖道元に対して、太祖と呼ばれている。越前多禰邑の出身で、幼名は行生。弘安三年(1280)永平寺孤雲懐奘について得度し、徹通義介や宝慶寺寂円、臨済僧の東山湛照・白雲・無本らにも学んだ。後に義介とともに加賀大乗寺に移り、その後継者となり大乗寺二世となった。1313年能登の永光寺、1321年総持寺を開創。両寺それぞれ明峰・峨山の二代弟子によって引き継がれ、曹洞宗教団の大多数の寺院を統括する拠点寺院になった。ほかにも阿波城満寺・加賀浄住寺・能登光孝寺等の開山となる。教化理念として、密教色導入、在家主義、とくに女人救済に特色があるとされる。臨済僧との交流を通じて得た禅問答により自己究明を図る公案禅の宗風も併せ持っている。峨山ら多くの弟子を育てて曹洞宗の地方展開の基礎を確立した。「伝光録」「瑩山清規」『報恩録』などの著書がある。※総持寺・曹洞宗の大本山で、能登国櫛比村(現石川県鳳至門前町)で行基開創とされ真言宗寺院諸嶽寺観音堂を瑩山が1321年に譲り受けて禅寺に改めた。1898年伽藍焼失の為に1911年横浜に移転された。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。



『鎌倉・室町の群像伝』七十五“呑海” 呑海〈他阿弥陀仏呑海〉(1265~1327)鎌倉時代の時宗の僧。

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『鎌倉・室町の群像伝』七十五“呑海”
呑海〈他阿弥陀仏呑海〉(1265~1327)鎌倉時代の時宗の僧。永仁三年(1295)遊行2代上人他阿弥陀仏真教に師事し有阿弥陀仏と称した。1301年に七条仏所の大仏康弁から定朝邸宅迹の寄進を受けた真教の命を受けて七条道場金光寺を創建し、1319年遊行4代を相続し他阿弥陀仏と改める。呑海は別名。後継問題から当麻道場無量光寺の内阿弥陀仏と対立し、1325年兄俣野景平の援助を受けて相模国の藤沢に清浄光寺を建立し止住した。以降、真光と呑海の間に門流が分立する。前者が当麻派、後者を遊行派と称されるようになった。呑海建立時の両寺は時宗遊行派に二大本山として大いに繁栄した。※神奈川県藤沢西富にある寺院。時宗総本山。藤沢無量光院と号し、通称藤沢道場、俗称遊行寺の名で知られている。
※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

『鎌倉・室町の群像伝』七十四”後宇多天皇“ 後宇多天皇(1267~1324)、鎌倉時代の第91代天皇(在位13年間)諱は世仁。文永4年(1267)、亀山天皇の第二皇子

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『鎌倉・室町の群像伝』七十四”後宇多天皇“
後宇多天皇(1267~1324)、鎌倉時代の第91代天皇(在位13年間)諱は世仁。文永4年(1267)、亀山天皇の第二皇子として誕生する。母は左大臣洞院実雄の娘、皇后佶子(京極院)。祖父・後嵯峨上皇の意志により、文永5年(1268)生後8か月で立太子。文永11年(1274)1月に亀山天皇から譲位を受けて8歳で践祚。亀山上皇による院政が行われた。治世中には、元・高麗軍による文永・弘安の両役、いわゆる元寇が発生した。建治元年(1275)、亀山上皇の血統(大覚寺統)に天皇が続くことを不満に思った後深草上皇(持明院統)が幕府に働きかけ、幕府の斡旋により、後深草上皇の皇子で2歳年上の熈仁親王(伏見天皇)を皇太子とする。弘安9年(1286)に第一皇子の邦治(後二条天皇)が親王宣下を受けるが、弘安10年(1287)、21歳で皇太子・熈仁親王(伏見天皇)に譲位した。以後、持明院統と大覚寺統による皇位の争奪に対し、調停策として出された幕府の両統迭立案に基づく皇統の分裂が続く。第一皇子である後二条天皇(94代)の治世、正安3年(1301)から徳治3年(1308)まで院政を敷いた。徳治2年(1307年)、寵妃の遊義門院が亡くなったことが契機となり、仁和寺で落飾(得度)を行い、金剛性と称した。そのとき、大覚寺を御所とすると同時に入寺、大覚寺門跡となった。翌徳治3年(1308)には後二条天皇が崩御したため、天皇の父(治天の君)としての実権と地位を失い、後醍醐天皇即位までの間、政務から離れる。持明院統の花園天皇を挟んで、第二皇子の尊治親王(後醍醐天皇)が文保2年(1318)に即位すると再び院政を開始。元亨元年(1321)、院政を停止し隠居。以後、後醍醐の親政が始まる。元亨4年(1324)6月25日、大覚寺御所にて崩御。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

『鎌倉・室町の群像伝』73”他阿真教“ 他阿真教(1237~1319)鎌倉時代後期の時宗の僧。遊行上人2世。

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『鎌倉・室町の群像伝』73”他阿真教“
他阿真教(1237~1319)鎌倉時代後期の時宗の僧。遊行上人2世。正しくは他阿弥陀仏と称し、他阿と略する。法諱は真教(ただし同時代史料にはみえず、初出は『本朝高僧伝』。燈心文庫に真教と署名のある文書があり、他阿に同定する説あり)。俗姓は源氏久我家ともいわれる。建治3年(1277)九州で時宗の祖一遍に師事して以来、一遍の諸国遊行に従う。1289年に一遍が亡くなった後に、いったん解散した時衆を再結成して引き連れ、北陸・関東を中心として遊行を続けた。1304年遊行を3世量阿(他阿智得。のち他阿号を世襲)に譲り、自らは相模国に草庵を建立して独住(定住)し、そこで没した。同寺の境内に、一遍らとならんで墓塔の宝篋印塔がある。おもな門弟に量阿のほか、有阿、京都四条道場・浄阿(真観)がいる。膨大な消息はのちに『他阿上人法語』8巻にまとめられたほか、歌人として京都の貴人たちとまじわり、歌集に『大鏡集』がある。他阿の肖像としては、長崎称念寺(福井県坂井市)蔵の画像や東山長楽寺(京都市東山区)蔵の木造椅像、および黒駒称願寺(山梨県笛吹市)・国府津蓮台寺(神奈川県小田原市)蔵の木造座像が有名で、いずれも重要文化財。晩年に患った中風によって口許がゆがんでいるのが特徴である。一遍は、肉親ともいわれる弟子聖戒を後継者とみなしていた節があり、しかも入寂に際して時衆は各地に散って自然消滅している。それを再興した他阿は、知識帰命を掲げた「時衆制誡」「道場制文」などを定め、消息の中で配下の道場(寺院)は百あまりと述べているように、時衆を整備された教団とした。現在ある時宗教団は、この他阿の系統を引く藤沢道場清浄光寺が、ほかの念仏聖の教団を吸収して近世に成立した。歴代の時宗法主は他阿を称する。したがって、他阿真教こそが、時宗の実質的な開祖といえよう。宗祖一遍とならぶ「二祖上人」と通称され、多くの時宗寺院で、その像が一遍と対になって荘厳されている。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

『鎌倉・室町の群像伝』七十二”賢俊“ 賢俊”日野賢俊“(1299~1357)南北朝時代の真言宗の僧。父は権大納言日野俊光。兄弟に日野資名・

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『鎌倉・室町の群像伝』七十二”賢俊“
賢俊”日野賢俊“(1299~1357)南北朝時代の真言宗の僧。父は権大納言日野俊光。兄弟に日野資名・資朝。俗名は日野 賢俊。菩薩寺大僧正。醍醐寺宝池院流賢助に師事して密教を学ぶ。元応2年(1332))12月4日、今熊野において入壇(正式な受戒)の儀式が行われた(『五八代記』)。元弘の変の最中の1331年9月4日、東宮量仁親王(光厳天皇)ら持明院統の皇族が退避していた六波羅探題北条仲時邸において尊円法親王・賢助らによって五壇法が行われた際、賢助の補佐として「賢俊権大僧都」の名が見られる。2年後、師・賢助の死に際してその後継者に指名された。南北朝時代の内乱では足利尊氏方につき、後醍醐天皇の信任を受け権勢を誇っていた文観を排除する。同年2月尊氏が九州に走った際にはそれに従い、陣中の群議にあたった。また持明院統(北朝)の光厳上皇の院宣と錦旗を尊氏に伝える役割を果たし、室町時代の足利将軍家と日野家の関係の端緒となる。1336年6月、権大僧正に任じられて醍醐寺座主となり、示寂するまで22年間当職を占めた。同年に東寺長者、根来寺大伝法院検校、六条八幡宮別当などの顕職に相次いで補任され、寺院社会で大きな影響力をもつようになった。尊氏及び北朝3代(光明・崇光・後光厳)の護持僧として権勢をふるった。醍醐寺に食邑として6万石を寄進されて伽藍を整備し、さらに醍醐寺の院家であった三宝院を再興、新たに造営・寄進されてその院主となった。1342年法務大僧正に就任。1350年東寺長者の職を辞して尊氏の九州鎮定に従っている。また、観応の擾乱においても尊氏に従って、足利直義方にあった実相院の増基を退けて武家護持僧の筆頭に就いた。尊氏とは厚い信頼関係にあり、その緊密な関係が伺える手紙や願文が『醍醐寺文書』に含まれている。また、醍醐寺に残る「理趣経」(重要文化財)は賢俊の四十九日供養の際、尊氏自らが書写したものである。他の賢俊にまつわる品として、『三宝院賢俊像』(醍醐寺所蔵)や、『三宝院賢俊僧正日記』がある。しかし、当時の醍醐寺の内紛状態の中で傍流に属していた賢俊が幕府・北朝を支持を受けて、醍醐寺ひいては仏教界を掌握できたのは一時的な事であり、彼が没するとたちまち三宝院は力を失って動揺することになった。1374年には、彼の後継者である光済が興福寺の強訴で配流されている。その後足利義満が1379年(康暦元年/天授5年)に武家護持僧の管領役を三宝院に一任するなどの庇護策を行うことによって大きく発展することになる。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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