「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『戦後日本の あの日あの時』195「太平洋単独横断」 ●昭和37年8月12日,掘江謙一、小型ヨットで日本人初の太平洋横断に成功

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『戦後日本の あの日あの時』195「太平洋単独横断」
●昭和37年8月12日,掘江謙一、小型ヨットで日本人初の太平洋横断に成功。堀江健一昭和13年(1938)生まれ、実家は自動車部品工場、小型ヨット「マーメイド号」西宮=サンフランシスコ間を単独横断航海に成功。水20リットル、米40キロ、缶詰200個を積んで出航、航海中は甲板に降った雨を蓄えるなどしてした。当時はヨットによる出国は認められず「密出国」と言う形になった。大阪海上保安監部は家族から捜索願が出されていた時点で全国の海上保安本部に”消息不明手配”を出すとともに”不法出国”についても捜査を始め、幹部は当初取材にたいして「堀江君は身柄を拘束され日本に強制送還されるであろう」とコメントしていた。ところが当時のサンフランシスコ市長は「コロンブスもパスポートは省略していた」と、尊敬の念を以て名誉市民として受け入れた。一か月間の滞在を認めると、日本国内は手のひらを返したように堀江氏の偉業を称えるのに変化をしていった。その後の帰国した堀江氏は密出国について当局の事情聴衆を行ったものの結果起訴猶予となった。「マーメイド号」は横山晃設計によるキングフィッシャ型19フィートのスループで姫路市の奥村サポート似て建造された。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

『戦後日本の あの日あの時』194「吉田巌窟王事件」 ●昭和37年(1962)10月30日、最高裁、50年間無実を叫び続けた「巌窟王」吉田石松の再審査請求を認める

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『戦後日本の あの日あの時』194「吉田巌窟王事件」
●昭和37年(1962)10月30日、最高裁、50年間無実を叫び続けた「巌窟王」吉田石松の再審査請求を認める。「吉田巌窟王事件」は大正時代に発生した強盗殺人事件。事件は名古屋市の小売商の殺人事件で、殺人事件そのものより、被害者の偽証の供述から主犯とされた吉田石松が冤罪を訴え、事件発生から半年後に再審で無罪を勝ち取った事件として言及されることが多い。※1913年(大正2年)8月13日夜、現在の名古屋市千種区の路上で小売商の男性【31歳】が殺害され、1円20銭が奪われた。翌日被疑者として二人の男性【22歳と26歳】が逮捕された。彼らの供述から主犯は吉田石松(34歳)が逮捕された。だがこの供述共犯者が罪を軽くするために全く関係のない第三者であった吉田を主犯にすり替えた者であった。当時捜査当局は自白偏重主義であり、一審では「従犯」とされた二人に無期懲役、吉田に死刑が言い渡された。控訴審、上告審では無期懲役が言い渡されたが、刑が確定して吉田は服役した。1918年獄中からアリバイの成立主張し、二度の再審請求を行ったが棄却された。刑務所では獄中で暴れるなどして無実を訴え続けた。刑務所の所長は事件の不審な点など調べなおし、吉田が関与していないことに気づいた。そして仮出所の手続きを試み、無実を訴えて暴れる吉田に再審の手続きを薦めた。吉田を陥れた2人は先に出所し、虚偽の自白をしたことを認めさし、詫び状を1936年に受け取った。この詫び状を基に三度目の再審請求を行ったが棄却され、日本弁護士会の支援の下に昭和37年(1962)10月30日に再審請求が認められた。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

『戦後日本の あの日あの時』193「YS-11、初飛行」 ●昭和37年(1962)8月30日、国産中型旅客機、

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『戦後日本の あの日あの時』193「YS-11、初飛行」
●昭和37年(1962)8月30日、国産中型旅客機、YS=11初飛行成功。戦後日本は連合銀の占領下、航空機禁止令が布告されていて、また日本のあるべき飛行機は破壊され、航空機メーカーは解体された。航空会社は潰された。大学の授業さえ航空力学の科目が取り除かれた。やがて日本が昭和27年(1952)サンフランシスコ講和条約の発効で独立を果たした。日本企業による飛行機の運航や製造が禁止の一部が解除され、この年の7月に航空法や航空機製造事業法が施行された。民間航空機は1951年二本航空がGHQの意向で発足し、翌年の1952年には全日本空輸の前身である日本ヘリコプター輸送、極東航空が発足し、その翌年の1953年まで東亜国内航空の前身となる日東航空、富士航空、東亜航空が発足した。航空機製造に関しては朝鮮戦争で米軍の整備・修理の受注を皮切りに1955年(昭和30年)4月にかけて川崎航空機と新三菱重工業が自衛隊向けの機体(ロッキードやノースアメリカン)の国内ライセンス生産が決定するまでになっていた。当時の航空機産業の監督官庁である通商産業省は、商品サイクルの名が輸送機の開発生産に取り組むことで、その産業基盤を安定させる思惑があった。加えて、利用客の増加が見込め国内航空の旅客機に国産機を用意ることで、軍用機と民間機を共通化すれば開発コストが低下すると考え「国内線の航空輸送を外国機に頼らず、さらに海外に輸出して、日本の国際収支に貢献する」名目で国産開発が計画され実行に移されていった。計画されたYS-11は、日本航空機製造が製造した双発タープロップエンジンで方式の旅客機。第二次世界大戦後では初めての日本メーカーの開発した旅客機である。正式的なん呼び方は「ワイエスいちいち」だが「ワイエスイレブン」などと呼ばれている。長期に運用されたが、2006年をもって日本に於いて旅客機用途での運航を終了した。
※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが垣間見えてくる。

『戦後日本の あの日あの時』191「新産業都市」 ●昭和37年(1962)5月10日、新産業都市建設促進法公布。

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『戦後日本の あの日あの時』191「新産業都市」
●昭和37年(1962)5月10日、新産業都市建設促進法公布。8月1日施行(道央・八戸など15カ所新産業都市に指定。工業整備特別地域一準新産業都市として鹿島など6カ所を指定)新産業都市建設推進法によって指定された工業開発都市。政府は第一次全国総合開発計画に基づき、工場と人口の分散を目的として、重化学工業地域を中心に地域開発を計画、道央、八戸、仙台湾、常磐、郡山、新潟、富山、高岡、松本、諏訪、岡山県南、徳島、東予、大分、日向、延岡、大牟田、有明、不知火、秋田湾、中海の15カ所を指定し、それ以外の開発が進んでいる地域、鹿島、東駿河、東三河、播磨、備後、周南を準新産業都市として指定した。予定通りコンビナートが設備されたのは新産業都市2カ所に留まった。このコンビナート地域では公害が発生し、地場産業の発展は軽微であった。他の大部分の地域はコンビナートが建設できず、財政危機に陥った。また資本と人口の分散は成功せず、東京一極集中が続いた。その意味では新産業都市による分散政策は失敗した。この制度は、産業構造の変化などを理由に2001年3月に廃止された。
※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが垣間見えてくる。

『戦後日本の あの日あの時』190「江田にビジョン」 昭和37年(1962)7月27日、社会党書記長江田三郎、党全国オルグ会議で「江田ビジョン」を発表

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『戦後日本の あの日あの時』190「江田にビジョン」
昭和37年(1962)7月27日、社会党書記長江田三郎、党全国オルグ会議で「江田ビジョン」を発表.(米の高い生活水準・ソ連の徹底した社会保証・英の議会民主主義・日本の平和憲法の4つの基盤にした新しい社会主義のイメージを打ち出す。)1946年に日本に引き揚げ、日本社会党に入党。左派の活動家として頭角を現す。1950年に参議院議員に初当選し、1951年の左右分裂後は左派社会党に属した。左派社会党時代、左派の日刊機関紙として「社会タイムス」を創刊し、自ら社会タイムス社の専務として経営に参画するが、経営陣がそろって経営の素人だった上に販売代金の回収がきちんと行なわれなかったことから、たちまち経営難に陥り、社会タイムス社は倒産した。この時、社会タイムス社の経営に引き入れた和田博雄が会社の借金の一部を背負う形となり、その後の和田との確執の原因になったと言われている[3]。1958年、委員長鈴木茂三郎のもとで社会党組織委員長となり、党組織の近代化や活動家の待遇改善に尽力し、若手活動家たちから絶大な信頼を得る。1960年には書記長に就任した。委員長浅沼稲次郎の暗殺事件後、委員長代行として1960年総選挙を指揮する。3党首テレビ討論会にも社会党代表として出演し、穏やかな口調が視聴者に好印象を与え、国民的な人気を得た。「江田ビジョン」と構造改革論。1960年総選挙の頃より、江田は構造改革論を社会党の路線の軸に据えようとした。これは、日本社会の改革を積み重ねることによって社会主義を実現しようとする穏健な考え方で、これまで権力獲得の過程が曖昧であった平和革命論を補強しようというものであった。しかし、労農派マルクス主義に拘泥する社会主義協会がこれに反発し、江田ら若手活動家たちの台頭を恐れた鈴木茂三郎・佐々木更三らも構造改革論反対を唱え始める。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが垣間見えてくる。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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