「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

>京都十六社巡り・新熊野神社・祭神・伊邪那美命(いざなみのみこと)を始め12社の神々・ 京都市東山区今熊野椥ノ森町

新熊野神社4
京都十六社巡り・新熊野神社・祭神・伊邪那美命(いざなみのみこと)を始め12社の神々・
京都市東山区今熊野椥ノ森町42・熊野信仰盛んな平安末期、後白河上皇は紀州国(和歌山県)の熊野の神を勧請、1160年熊野の新宮、新熊野神社を創建した。その際、熊野の土砂材木等で、社域を造成、社殿を造営、那智の浜の青白の小石をまき、熊野をここに再現した。社頭の大樟は当時、熊野より移植、上皇お手植、熊野の神降臨の霊樹と伝え、樹齢九百年、健康長寿・病魔退散・特にお腹の神と信じられ、参詣者が多い。本殿は京都市の重要文化財。尚、能楽の祖、観阿弥・世阿弥父子は1374年(応安7年)足利三代将軍義満台覧の下、有名な「新熊野神事猿楽」を演能、これが今日の能楽の礎となった。

「京都古社寺探訪」永観堂・禅林寺・京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂の名で知られる。

永観堂5

「京都古社寺探訪」永観堂・禅林寺・京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂の名で知られる。山号を聖衆来迎山、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に三箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。真紹は仁寿三年(853年)、歌人・文人であった故・藤原関雄の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観五年(863年)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。当初真言宗寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる七世住持の律師・永観(1033年 - 1111年)の頃から浄土教色を強めていく。永観は文章博士の源国経の子として生まれ、十一歳で禅林寺の深観に弟子入りする。当初、南都六宗のうちの三論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。師深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久四年(1072年)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。永観は、今日の社会福祉活動の先駆者といえるであろう。禅林寺を永観堂と呼ぶのは、この永観律師が住したことに由来する。なお、「永観堂」は普通「えいかんどう」と読むが、「永観」という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされている。禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。この像については次のような伝承がある。永保二年(1082年)、当時五十歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。

京都十六社巡り・熊野若王子神社・国常立神、伊佐那岐神、伊佐那美神、天照皇大神、恵比須像・ 京都市左京区若王子町2番地・ 当社は永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神

若王子神社1
京都十六社巡り・熊野若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)・国常立神、伊佐那岐神、伊佐那美神、天照皇大神、恵比須像・
京都市左京区若王子町2番地・
当社は永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請せられ祈願所とされた正東山若王子の鎮守であったが、明治初年の神仏分離によって当社のみが今日に残ったのである。夷川通りに鎮座せられていた室町時代作の恵比須を祀っている足利尊氏、義政が、この地に花を愛で宴を開いたと伝えるが今日でも東方山中に瀑布が有り奇岩老樹も多く、夏は納涼地、秋は紅葉の名所として聞こえている。社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮、新宮、那智、若宮などがあったが、現在は1社相殿になっている。

>「奈良古社寺巡り」手向山八幡宮・祭神応神天皇・比売大神・仲哀天皇・神功皇后で宇佐八幡宮と同じである。奈良市は東大寺の大仏殿の道を東の手向山麓

手向け山八幡宮4 (2)
「奈良古社寺巡り」手向山八幡宮・祭神応神天皇・比売大神・仲哀天皇・神功皇后で宇佐八幡宮と同じである。奈良市は東大寺の大仏殿の道を東の手向山麓に位置し、手向山神社ともいう。天平勝宝元年(749)東大寺造立に当たって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。八幡宮分社では第一号である。当初は平城京の南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿の南方に鏡池付近に遷座したが、治承4年(1180)の平重衡の南都焼き討ちで焼失し、慶長二年(1250)北条時頼が現在地に再建した。明治の神仏分離令までは東大寺に属し、鎮守社とされてきた。

「京都古社寺探訪」南禅寺・京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺である。

南禅寺3

「京都古社寺探訪」南禅寺・京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺である。本尊は釈迦如来、開基は亀山法皇、開山は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。南禅寺の建立以前、この地には、後嵯峨天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮の禅林寺殿があった。「禅林寺殿」の名は、南禅寺の北に現存する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺に由来する。この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、うち「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した。現存する南禅寺の別院・南禅院はその後身である。亀山上皇は正応二年(1289年)、四十歳の時に落飾して法皇となった。二年後の正応四年(1291年)、法皇は禅林寺殿を寺にあらため、当時八十歳の無関普門を開山として、これを龍安山禅林禅寺と名づけた。伝承によれば、この頃禅林寺殿に夜な夜な妖怪変化が出没して亀山法皇やお付きの官人たちを悩ませたが、無関普門が弟子を引き連れて禅林寺殿に入り、静かに座禅をしただけで妖怪変化は退散したので、亀山法皇は無関を開山に請じたという。無関普門は、信濃国の出身。東福寺開山の円爾に師事した後、四〇歳で宋に留学、十年以上も修行した後、弘長二年(1262年)帰国。七十歳になるまで自分の寺を持たず修行に専念していたが、師の円爾の死にをうけて弘安三年(1281年)に東福寺の住持となった。その十年後の正応四年(1291年)に南禅寺の開山として招かれるが、間もなく死去する。開山の無関の死去に伴い、南禅寺伽藍の建設は実質的には二世住職の規庵祖円が指揮し、永仁七年(1299年)頃に寺観が整った。当初の「龍安山禅林禅寺」を「太平興国南禅禅寺」という寺号に改めたのは正安年間(1299 - 1302年)のことという。正中二年(1325年)には夢窓疎石が当寺に住している。建武元年(1334年)、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一としたが、至徳三年(1385年)に足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を「別格」として五山のさらに上に位置づけ、京都五山と鎌倉五山に分割した。室町時代には旧仏教勢力の延暦寺や三井寺と対立して政治問題に発展、管領の細川頼之が調停に乗り出している。明徳四年(1393年)と文安四年(1447年)に火災に見舞われ、主要伽藍を焼失したがほどなく再建。しかし応仁元年(1467年)の乱(応仁の乱)における市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建も思うにまかせなかった。南禅寺の復興が進んだのは、江戸時代になって慶長十年(1605年)以心崇伝が入寺してからである。崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。また、幕府から「僧録」という地位を与えられた。これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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