「西国四十九薬師巡り」水観寺・園城寺(三井寺)五別所の一つです。別所とは、平安時代以降、広く衆生を救済するため本境内の周辺に設けられた円城寺

す水観寺薬師霊場「西国四十九薬師巡り」水観寺・園城寺(三井寺)五別所の一つです。別所とは、平安時代以降、広く衆生を救済するため本境内の周辺に設けられた円城寺の別院で、当寺のほかに微妙寺、近松寺、尾蔵寺、常在寺があり、総称して「円城寺五別所」と呼ばれている。昭和五十九年(一九八四)、本堂が滋賀県指定有形文化財に指定され、全面解体修理されることとなり、現在の場所へ移築された。当寺の歴史は深く、長久元年(一〇二八)、明尊大僧正の開基と伝えられ、中世最盛期には築垣を周囲に回し東西に総門を構える大伽藍でした。明尊大僧正は小野道風の孫に当たり、顕密の奥旨を究め、円城寺長吏、天台座主を務められ、本朝唯一の八宗総博士に任じられた平安仏教界を代表する高僧である。創建当初、ご本尊には十一面観音を祀っていましたが、文禄四年(一五九五)、豊臣秀吉による円城寺闕所の際に失われたようで、江戸時代以降は薬師堂の薬師如来をご本尊として現在に至っています。本尊薬師如来は、一切衆生を病気、災難から救済する仏さまとして、今も近隣の人々の信仰をあつめています。円城寺は、一般的には三井寺の名で親しまれている。三井寺には絶えることのない霊泉が境内にあり、その霊泉が天智・天武・持統の三帝の産湯に使われて「みい御井の寺」と呼ばれるようになり、さらに中興の祖である智証大師円珍が三部灌頂の法水として用いたので、「三井寺」になったと言われている。三井寺の広い境内には数多くの堂宇が存在し、壮大な伽藍を形成しており、また、観音堂は西国観音霊場の第十四番札所であり、参詣の人の跡が絶えことがない。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR