『社寺神仏豆知識』34・(仏教十三宗五十六派)黄檗宗(おうばくしゅう)は、日本の三禅宗

 隠元1ま万福寺3 (1)『社寺神仏豆知識』34・(仏教十三宗五十六派)黄檗宗(おうばくしゅう)は、日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派(三禅宗は他に臨済宗、曹洞宗)。日本における仏教の宗派であり、臨済宗曹洞宗に次ぐ禅宗の一つである。の僧・黄檗希運? - 850年)の名に由来[1]する。黄檗は臨済義玄(?-867年)の師である。臨済宗、曹洞宗が日本風に姿を変えた現在でも、黄檗宗は明朝風様式を伝えている。本山隠元隆琦1592 - 1673年)の開いた、京都府宇治市の黄檗山(おうばくさん)萬福寺である。日本の江戸時代元和寛永1615 - 1644)のころ、明朝の動乱から逃れた多くの中国人、華僑が長崎に渡来して在住していた。とくに福州(福建省)出身者たちによって興福寺1624)、福済寺1628)、崇福寺1629)(いわゆる長崎三福寺)が建てられ、明僧も多く招かれていた。承応3年(1654、中国臨済宗の明僧、隠元隆琦により始まる。隠元の禅は、鎌倉時代の日本臨済宗の祖である円爾1202 - 1280年)や無学祖元1226 - 1286年)等の師でもある無準師範1177 - 1249年)の法系を嗣ぐ臨済禅であり、当初は正統派の臨済禅を伝えるという意味で「臨済正宗」や「臨済禅宗黄檗派」を名乗っていた。宗風は、明時代の中国禅の特色である華厳天台浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。幕府の外護を背景として、大名達の支援を得て、鉄眼道光1630 - 1682年)らに代表される社会事業などを通じて民間の教化にも努めた。また元文5年(1740に第14代住持に和僧の龍統元棟が晋山するまでは伝統的に中国から住職を招聘してきた。こうした活動から次第に教勢が拡大し、萬福寺の塔頭は33ヵ院に及び、1745の「末寺帳」には、1043もの末寺が書き上げられている。明治7年(1874)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二宗と定めたため、強引に「臨済宗黄檗派」(りんざいしゅうおうばくは)に改称させられたが、明治9年(1876)、黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立することとなった。隠元の法孫に当たる鉄眼道光は艱難辛苦の末に、隠元のもたらした明版大蔵経を元版とした『鉄眼版(黄檗版)一切経』といわれる大蔵経を開刻・刊行した。これによって日本の仏教研究は飛躍的に進んだばかりか、出版技術も大きく進歩発展した。一方、了翁道覚1630 - 1707年)は錦袋円(きんたいえん)という漢方薬の販売により、収益金で鉄眼の一切経の開刻事業を援助する一方、完成本を誰もが見られるようにする勧学院を各地に建て、日本の図書館の先駆けとなった。後に鉄眼一切経は重要文化財に指定され、黄檗山万福寺山内の宝蔵院で現在も摺り続けられている。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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