『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)168“足利義稙” 足利 義稙(1466~1523)室町幕府第10代将軍。父は室町幕府第8代将軍・足利義政の弟で、

義稙4 (2) 『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)168“足利義稙”
足利 義稙(1466~1523)室町幕府第10代将軍。父は室町幕府第8代将軍・足利義政の弟で、一時兄の養子として継嗣に擬せられた足利義視。母は裏松重政の娘。初名は義材。将軍職を追われ逃亡中の明応7年(1498年)に義尹、将軍職復帰後の永正10年(1513年)には義稙(よしたね)と改名している。将軍在職は2つの時期に分かれており、1度目は延徳2年7月5日(1490年7月22日)から明応3年12月27日(1495年1月23日)まで在職した後、約13年半の逃亡生活を送る。2度目は永正5年7月1日(1508年7月28日)から大永元年12月25日(1522年1月22日)まで在職した。文明9年(1477年)、父・義視に伴われて美濃国に亡命した。長享3年(1489年)、早世した従兄で9代将軍の足利義尚と彼に続いて死去した伯父・足利義政の後継者として上洛し、第10代将軍に就任した。その後、管領・細川政元と対立、明応2年(1493年)将軍職を廃され幽閉されたが(明応の政変)、脱出して越中国、ついで越前国へ逃れ、諸大名の軍事力を動員して京都回復・将軍復職をめざして逃亡生活を送った。周防国の大内義興の支援を得て、永正5年(1508年)に京都を占領、将軍職に復帰した。しかし、大内義興が周防国に帰国すると管領・細川高国(政元の養子)と対立、大永元年(1521年)に細川晴元・細川持隆を頼り京都を出奔して将軍職を奪われ、大永3年(1523年)逃亡先の阿波国で死去した。★歴史の変遷をたどれば時代を制した英雄伝説にも、栄枯盛衰の条理を教える。
</font>
</font>
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR