『社寺神仏豆知識』29・タケミカヅチ(タケミカヅチノオ)は、日本神話に登場する神。雷神、

 タケミカグツチカグツチ、『社寺神仏豆知識』29・タケミカヅチ(タケミカヅチノオ)は、日本神話に登場する。雷神、かつ剣の神とされる[2]。後述するように相撲の元祖ともされる神である。『古事記』では「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」や「建御雷神(たけみかづちのかみ)」、『日本書紀』では「武甕槌」や「武甕雷男神」などと表記される。単に「建雷命」と書かれることもある。『古事記』では「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」とも記される。また、鹿島神宮茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐・いざなぎ)が火神軻遇突智(カグツチ)の首を切り落とした際、十束剣天之尾羽張(アメノオハバリ)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である[4]。剣のまたの名は伊都尾羽張(イツノオハバリ)という。『日本書紀』では、このとき甕速日神(ミカハヤヒノカミ)という建御雷の租が生まれたという伝承と、建御雷も生まれたという伝承を併記している。「出雲の国譲り」の段においては伊都之尾羽張(イツノオハバリ)の子と記述されるが[7]、前述どおり伊都之尾羽張は天之尾羽張の別名である。アマテラスは、タケミカヅチかその父イツノオハバリを下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷が天鳥船(アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる[7]。出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立ったタケミカヅチは、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。大国主は、国を朝廷に譲るか否かを子らに託した。子のひとり事代主は、すんなり服従した。もう一人、建御名方神(タケミナカタ)諏訪[3]諏訪神社上社の祭神)は、建御雷に力比べをもちかけ、手づかみの試合で一捻りにされて恐懼して遁走し、国譲りがなった。このときの建御名方神との戦いは相撲の起源とされている。『日本書紀』では葦原中国平定の段で下界に降される二柱は、武甕槌とフツヌシである。(ちなみに、この武甕槌は鹿島神社の主神、フツヌシは香取神社の主神となっている。上代において、関東・東北の平定は、この二大軍神の加護に祈祷して行われたので、この地方にはこれらの神の分社が多く建立する[3]。)『日本書紀』によれば、この二柱がやはり出雲の五十田狭小汀(いたさのおはま)に降り立って、十握の剣(とつかのつるぎ)を砂に突き立て、大己貴命(おおあなむち、オオクニヌシのこと)に国譲りをせまる。タケミナカタとの力比べの説話は欠落するが、結局、大己貴命は自分の征服に役立てた広矛を献上して恭順の意を示す[9]。ところが、二神の前で大己貴命がふたたび懐疑心を示した(翻意した?)ため、天つ神は、国を皇孫に任せる見返りに、立派な宮を住まいとして建てるとして大己貴命を説得した。また同箇所に、二神が打ち負かすべく相手として天津甕星の名があげられ、これを征した神が、香取に座すると書かれている。ただし、少し前のくだりによれば、この星の神を服従させたのは建葉槌命(たけはづち)であった。※歴史に学ぶ 先人の知恵と教訓。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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