「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『戦後日本の あの日あの時』160「北朝鮮帰国」 ●昭和34年(1959)8月13日、日本、北朝鮮赤十字代表

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『戦後日本の あの日あの時』160「北朝鮮帰国」
●昭和34年(1959)8月13日、日本、北朝鮮赤十字代表、在日朝鮮人の北朝鮮帰国に関する協定を調印。12月14日、帰国1船、新潟を出港。国交のなかった日本と北朝鮮とは北朝鮮への帰国希望者の窓口は日本赤十字社と朝鮮赤十字社によって実務が行われた。1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県新潟港から出港し、数度の中断を含みながら行われた。1984年まで93、340人が北朝鮮に渡った。その内少なくとも6、839人は日本人妻や子と言った日本国籍保有者であった。在日朝鮮人は日本から近い朝鮮半島の南部の出身者が多かった。北朝鮮は帰国船の費用は負担し、事業の後期には万景峰号(初代)が使用された。日朝間の帰国船の往来には頻繁に北朝鮮から朝鮮総連関係者、日本へ、韓国へ工作員も送られた。在日朝鮮人は、朝鮮半島の日本が統治時代に様々な事情で日本国本土に移った。韓国政府の虐殺を逃れるためや、戦後の出稼ぎや朝鮮戦争勃発に自ら蜜入国した人も少なくない。そうした人々の中に、そのまま日本に居留した人もあれば朝鮮戦争特需で恩恵を甘受した人もあれば、依然として困窮する者もいた。特に1956年の生活保護の削減と、1957年から翌年にかけて、なべ底景気が貧困層を直撃していった。在日朝鮮人の間で、朝鮮戦争の荒廃から復興が進まず、政情不安を理由に、韓国への帰国不安視する一方で、社会主義体制のもとで千里馬運動による急速な復興を実現した北朝鮮への憧れと、北朝鮮の「地上の楽園」の宣伝に促されて帰国を希望した人が多くいた。実際に状況は悲劇的環境に多くの人々は嘆き悲しみ、日本への帰国を希望し、脱北した人も多くいた。現在の北朝鮮の拉致被害者の禍根の原因ともなっている。
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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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