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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 44・「大山守の反逆」

大山5
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
44・「大山守の反逆」
大山守(おおやまもり)命(みこと)と大雀(おおさざきの)命(みこと)
応神天皇は大山守命と大雀命(仁徳天皇)に問われて「お前たちは年長の子と年少の子ではどちらが愛おしいか」仰せられた。
天皇がこのような質問をされるには、二人の御子がどう思っているのか、気持ちを探っておられること、内心宇遅能和紀郎子に後を継がせたい気持ちがあった。
 それに答えて、大山守命は「年長の子が愛おしく思われます」と答えた。
次に大雀命は天皇はお問いになる裏を察し「年長の子は、もう成人で、案ずることはないので、年少の子、愛おしく思います」と答えた。
 天皇は「雀よ、お前の言うことが、我思いと同じである」と言われ、それぞれに詔を下された。「大山守命は、海と山の政務を執れ、大雀命は天下の政務を執って、天皇に奏上せよ。宇遅(うじ)能(の)和紀郎子(わきろうこ)は皇位を継承せよ」と仰せられた。
 大雀命は天皇の仰せに背くことはなかった。
☆大山守命と大雀命は母が姉妹で従兄弟であった。宇遅能和紀郎子は母が違う異母兄弟であった。皇嗣の候補としてはこの三人であった。この父天皇の質問は兄二人の心を探るものであった。
利口な大雀命は父応神が何を思っているのか察知していた。
結果天皇の三人の役割をオホヤマモリの海と山の政務を行ない、オホサザキは政治をやらせ、弟のウジノワキには天皇の後継がす思いを述べられた。
その後父天皇の思い通りにはゆかなかった。
大山守の反逆
大山守命と宇遅(うぢ)能(の)和紀郎子(わきいらつこ)
応神天皇は崩御されて後に、大雀命は天皇の仰せのように、天下統治を宇遅能和紀郎子に譲られた。
ところが、大山守命は、天皇の仰せに背き、なお天下を取りたいと、弟の和紀郎子命を殺そうと画策、密かに軍勢を徴用し攻撃に用意した。
大雀命はその事を知って、使者を出して宇遅能和紀郎子に知らせた。
その知らせに弟王は聞き驚いて、伏兵を宇治川の岸辺に置き、その上の山に絹の布を張り廻らし、幔幕を上げて仮宮として、兄王の大山守を騙すために、舎人を弟に見せかけ、外から見ても分るように座らせ、官人の出入りをする様子を作り、弟王の御座所そっくりに見せかけて、兄王の軍勢が川を渡れば、見られるように飾った。
また船をつなぎ、さね蔓(かずら)の根を着いたその汁を塗り、船の中に簀子を塗り、踏めば滑り転ぶように仕掛けた。
弟王は、布の上着にふんどしを身に着けて、賤しい楫(かじ)取(とり)(舵取り)の姿になった。
自ら楫を取り船の上に立った。
この時に兄王は兵士を隠し伏せ、衣の中に鎧(よろい)を着て、川辺に来て、川を渡るために船に乗ろうとした時に、上の立派な御座所を見て、弟王が座所に座っていると思いこみ、まさか楫をと取っているとは知らずに、その舵取りに尋ねて「この山には荒々しい猪がいると人伝に聞いているが、その猪を射殺そうと思う。猪を手に入れられようか」とたずねられた。
舵取が答えて「適いますまい」と言われ、「どうしてか」と答えて「あちらこちらで獲ろうとしたにですが獲れませんでしたが。それで不可能と申したのです」。
弟王は、川の中程まで来た時に落とした時、船を傾けさせ、兄王を滑らせて、川に中に落とした。やがて浮き出るが、川の流れのままに下った。その時歌って言う。
宇治川の渡し場に
楫取りに 素早い人よ
私のところに来てくれよ
すると、川の畔に隠れていた弟王軍勢が、あちらこちらのから一斉に立ちあがられた。
矢をつがえてねらい、兄王を流れさせた。
そして訶和羅埼まで流れ着いて沈んだ。
そこで鉤付の棒を使って兄王の沈んだ場所を探ると、その衣の中に鎧が引っ掛かり“かわら”と音がした。そこでその地名を名付けて「訶和羅埼(かわらさき)」と言う。
その遺骸を鉤につけて引き上げた時に弟王は歌われた。
宇治川の渡し場に
渡し場の岸辺に立っている檀の木
切ってしまおうと 心では思うけれど
取ってしまおうと 心では思うけれど
根本を見ては 君のことを思い出し
梢を見ては 妹のことを思い出し
辛いことに そこで思いだし
愛しいことに ここで思いだし
切らないできた 檀の木よ
そして、大山守命の死骸は、那良山に葬った。
この事があって、兄の大雀命の弟の宇遅能和紀郎子との二人が互いに天下を譲り合っている間に、海人が海産物を献って来た。しかし兄は受け取らず、弟に献上させた。また弟は受け取らず兄に献上させた。
それを何度か譲り合っている間に諺に「海人でないのに、自分の物のために泣く」と言う。宇遅能和紀郎子は間もなく崩御され、大雀命が天下を治めた。

☆大山守の反逆の説話・応神天皇は亡くなって事態が急変した。オホサザキ命は遺言通りに天下をウジノワキイラツコに譲られたが、オオヤマモリ命は天皇の位に就くことを画策された。
ひそかに武器を用意し弟御子に攻めようとしていた。
そんな噂を察知されたオホサザキ命は弟のウジノワキイラツコに知らせた。
聞いたウジノワキイラツコは驚きになり手を打たれた。
まず宇治川の川べりに兵士を潜ませ、宇治の山の上に絹の幕を張り廻らし、その中に仮屋を建て、偽りウジノワキイラツコを影武者のように仕立て、目立つところにアグラをさせて坐らせた。
百官の人々がうやうやしく礼をして、行き来き、する有様を見えるように設置をした。
さらに兄のオホヤマモリ命が川を渡る時に工夫を凝らし、船と舵を用意し、鬘(かずら)の根を巻いてその汁の粘液を船底に塗り付けて、踏むと滑って倒れるように仕掛けをして、ウジノワキイラツコは賤しい身分の衣装で舵を持って船上に立たれた。
そんな事を知らず兄のオホヤマモリ命は兵士を潜ませたまま、衣の下に鎧を着て川の淵に着いて乗船しようとする時に、山の上に飾り立てた所を見て、ウジノワキイラツコがてっきり陣を構えていると思い込み、自分が乗った船に舵を取って立っていること気づかずなかった。
その船頭に立って言うに「この山の上に強暴な大猪がいると噂を聞いている。私は猪を討ち取りが出来ようか」と言った。
すると船頭は「それは出来ないでしょう」と答えた。
オホヤマモリ命は「それは何故かと」と問い返した。
船が宇治川の中程まで来た時に、ウジノワキイラツコ船頭は船を傾けて落とし入れた。
ところが間もなく水面に浮かび上がって出てきて、流れながら嘆きながら棹を操る敏捷な人よ、どうか私の味方になって来てくれよと歌って流れて行った。
この時に宇治川のほとりに身をひそめ隠れていた兵士たちが、一斉に周りから姿を現してきた。
多くの兵士の矢に射られて下流に流されていった。
そして訶和羅の崎まで流れ着いて、水中に沈んでいった。そこで鉤でその沈んだ所を探ると、その鎧にひかってカラカラと鳴った。
事件が終結をしてオホサザキ命はウジノワキイラツコと二人で天皇の即位を互いに譲り合った。
この間に、兄のオホサザキ命は海人が御料理として鮮魚を献上させたが、弟のウジノワキイラツコに辞退し、更に兄のオホサザキ命に献上させた。
この様に互いに献上、辞退を繰り返し多くの日数が経ち、中に立った海人が行ったり来たり途方に暮れた。
その内、弟のウジノワキイラツコが早世されてしまった。
結局オホサザキ命は事を荒立てることなく、時代の動き,推移を待って自分が天下を執られた。
☆この戦いは兄弟の跡目争いで、父の威光を亡くなった後は実力行使に出たが、オホサザキ命がウジノワキイラツコに着いたのが勝因かも知れない。
しかしその筋書きは芝居じみていて脚色して面白く仕立てていることが窺える。
最初の兄弟争いには父の遺訓の通りに護り、オホサザキ命は弟のウジノワキイラツコに王権に就けるように働いた。
事、反旗を翻した兄のオホヤマモリ命は焦って二人の候補と戦わなければならなかった。
次期を待てば自分にその気運がやってくる見本で、ずる賢いとかしたたかとか言う評価はあるが、冷静沈着に物の変動を見てれば自ずと達成できる見本かも知れない。
次に仁徳朝での聖帝と歌われた所以はこの辺りの人間性に有ったのではないか。
仁徳天皇も父応神天皇も女性の問題を抱えた天皇であった。
それほど『古事記』の戦いでも実戦さながらの戦法を詳しく伝えている。
※歴史に学ぶ 先人の知恵と教訓。


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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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