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『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)138“足利義嗣” 足利義嗣(1394~1418)室町前期の武将。三代将軍。足利義満の子

義嗣2『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)138“足利義嗣”

足利義嗣(1394~1418)室町前期の武将。三代将軍。足利義満の子。生母は摂津能秀の女春日局。足利義満の四男として生まれる。幼名鶴若丸。同年、父義満は兄義持将軍職を譲った。義嗣は、嫡男以外は出家させる慣例に従って梶井門跡に入室したが、義満は応永15年(1408)に家の定めを破って義嗣を還俗させた。義嗣は義満に溺愛され、北山第に住むことになった。同年34日、元服前に異例の任官をして従五位下に叙せられる。次いで後小松天皇が北山第に行幸した際に天盃を下賜される。行幸中の324日、正五位下左馬頭に叙任、さらに同月28日には従四位下に叙せられ、翌日、還幸のお礼言上に参内して左近衛中将に昇任した。同年425日、宮中で内大臣が加冠する親王並の形式で元服して、従三位参議任官した。同年5月に義満が死去すると、義満にないがしろにされていた義持によって、義嗣と生母春日局は北山第から追放されるなど冷遇されたが、同年723日には権中納言に任官した。翌応永16年(140915日には正三位、応永18年(14111121日に従二位、同月25日には権大納言、応永21年(141415日には正二位に叙せられる。その後、不和であった将軍義持を打倒するため、伊勢国北畠氏と結んで挙兵しようとするが失敗する。応永23年(1416)に鎌倉府において義嗣の妾の父である前関東管領上杉禅秀鎌倉公方足利持氏を襲撃する上杉禅秀の乱が起こった際、京都では義嗣は出奔する騒動を起こしていた。幕府は義嗣の乱への関与を疑って義嗣や近臣を捕らえ、義嗣は仁和寺、次いで相国寺へ幽閉されて1020日に出家させられた。応永25年(1418124日、義嗣は義持の命を受けた富樫満成により殺害された。享年25

 

 

 

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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