「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)117“足利義満”足利義満(1358~1408)室町幕府三代将軍。応安元年(1368)24年間在職

義満2 鎌倉・室町の群像伝』(全186回)117“足利義満”足利義満(1358~1408)室町幕府三代将軍。応安元年(1368)24年間在職。2代将軍足利義詮の子。母は石清水八幡宮社務善法寺通清の女紀良子。政所執事伊勢貞継邸で誕生。康安元年(1361)12月、南軍が入京により、赤松則祐に助けられて播磨白旗城に逃れた。1367年12月、義詮の死によって家督を継ぎ翌1368年4月元服し12月に征夷大将軍に補任された。1378年3月、北小路室町の光明院御所跡に造営していた新邸は(室町殿)ふだ完成し、義満は二条良基・西園寺実俊らを招いて竣工の宴を開いた。新邸の庭には鴨川の水を引き入れて池を作り、近衛家庭前の糸櫻をはじめ諸家愛藏の由緒ある花木が植えられたので、世人は、この邸を花邸とか花御所などと呼んだ。室町幕府の名も、この室町殿に由来している。1379年南軍の軍事行動を鎮圧するために、大和に出陣中に土岐頼康、斯波義将ら有力守護の間で、幕府を壟断する管領が細川頼之排斥の運動が顕在化した。同年4月、反頼之派の有力守護達は花の御所を包囲して義満に頼之罷免を迫った。義満は彼らの要求を受け入れて頼之を解任したが、この事件には頼之の影響から脱却しようとする義満の思惑も多分絡んでいた康暦の政変。義満は斯波義将の管領に任じ、春屋妙葩を南禅寺の住持とした。14世紀後半、諸国遊覧によって足利将軍家の優越性をアピールし、土岐氏や山名氏の内訌に介入して有力守護家の勢力削減に成功した義満によって、次の課題は南北朝合一の名目のもとに南朝政権を完全に解体することであり、1392年10月に大内義弘を仲介として、南北統一を実現した。1394年12月義満は将軍職を子の義持に譲り、同年25日に太政大臣に叙任された。翌1396年正月の任太政大臣拝賀の際には、関白一条経嗣以下の諸卿が室町殿に集まり、摂政・関白が上皇を拝礼する儀礼を行った。同年6月、太政大臣を辞し、ついで出家、法名を道有と号した。これは出家によって公武の身分序列を超え、世俗の軌範を超脱しょうとした為である。1396年9月の比叡山講堂供養の際には、天皇行幸に使用される八瀬童子の輿に乗って登山し、天皇と並ぶ自らの権力を誇示した。権力を欲しいままに1408年5月6日、北山第において遺言の暇もなく急死。死後、朝廷から太政法皇の尊号宣下があったが、将軍義持は斯波義将の意見を聞き入れて、尊号の宣下を辞退した。★歴史の変遷をたどれば時代を制した英雄伝説にも、栄枯盛衰の定理を教える。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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