「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

「浪速史跡巡り」桜宮・所在地:大阪市都島区中野1丁目 最寄駅:JR環状線「桜ノ宮」下車、大川(淀川)沿いの道を南

 さ桜宮神社2「浪速史跡巡り」桜宮・所在地:大阪市都島区中野1丁目

最寄駅:JR環状線「桜ノ宮」下車、大川(淀川)沿いの道を南へ、当社より頂いた由緒書に寄れば、旧東生郡野田村「小橋」桜の馬場字「宮田」が創祀の地で、氏神として祀られていたが、1613年(慶長18年)造営の社殿が1620年(元和6年)大和川の洪水で流出し、中野村(現JR環状線「桜ノ宮駅」直下の地)に漂着、この地で再建し祀られることになった。しかし、この地は低地であったため、その後1666年(寛文6年)、1674年(延宝2年)に水禍に罹り、1756年(宝暦6年)現在地(中野村字厨)に遷座したという。  当社が「宮田」の地に鎮座していた時代より、大坂城守護社として、豊臣・徳川氏の尊崇を受け、しばしば祈願供御が行われたと伝わるが、度々の兵火・洪水により、神宝記録などが散逸し、創始の年代などは不詳である。現在地に移った後の天保(1830~44年)、弘化(1844~48年)年間には代々の大坂城代が参拝に訪れたことが当社の記録に残されている。  当社の名は現在地に遷座後も往時の地名(桜の馬場)をとって「桜の宮」と称していたが、のちに地名の桜が樹木の桜にとり代わり、淀川に面した境内には数100株の桜が植えられ、江戸中期には「桜の名所」として、喧伝されるようになった。  残念なことに、1885年(明治18年)の洪水で多くの桜が枯死し、旧観を失したと伝わるが、それでも春には残された老幹の花見に大勢の見物客が訪れ、付近の農家では花見客を相手に酒肴を売るものもおり、境内の料亭では夏の荷葉(はす)飯が名物で、大いに賑わったという。昭和初期までは、上記のような情景が見られたが、爾来都市の発展に伴い、付近にも工場が林立し、煤煙による影響で、樹は育たなくなり、加えて1940年(昭和20年)6月には戦災に遭い、昔日の面影は失ってしまった。
  近年、この付近は風致地区に指定され、神社の西側、淀川に面した「桜ノ宮公園」には、桜樹が移植され、昔の名所がよみがえり、桜のシーズンには大勢の人で賑わっている。
★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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