「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

「一ノ宮巡り」紀伊国一ノ宮・日前神宮・国懸神宮・祭神日前大神・国懸大神 和歌山県和歌山市秋月365・式内社・旧官幣大社

日れ「一ノ宮巡り」紀伊国一ノ宮・日前神宮・国懸神宮・祭神日前大神・国懸大神

和歌山県和歌山市秋月365・式内社・旧官幣大社

神社の近くで場所を聞くと「にちぜんさん」と教えてくれた。

紀伊国一ノ宮は二社で左に日前神社、右に国懸神社になっている。

日前神宮の祭神は日前大神、日像鏡を神体とする。相殿には思兼神・石凝(いしころ)(とめの)(みこと)、右の国懸神社は主祭神国懸大神、相殿日矛鏡を御神体とし玉祖命・明立天御影命・鈿女命で御神体の鏡は伊勢神宮の神宝の八咫鏡の同等のものとされる。

八咫鏡が伊勢神宮の神体とされていたので、日前宮・国懸宮は重要な神として皇祖神に準じた扱いを受けてきた。

朝廷は神階を送らない特別な神宮とされてきた。『日本書紀』には天照大神の岩戸隠れの際の、石凝姥命が八咫鏡の鋳造した鏡を日前宮に祀られている。

神武天皇の東征後、紀伊国造家の祖神である、天道根命が八咫鏡に先立って鋳造された鏡であると言うことで日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前神宮の神体に、日矛鏡を日懸神宮の神体にした。

創建鎮座については、もとは名草郡毛見郷浜宮にあったものを垂仁天皇に御世に現在地に遷座されたと言う。

もう一つの一ノ宮伊太祁神社は現在地にあった所、紀伊国の国譲りで、今の伊太祁神社後に遷座をしたと記されている。朱鳥元年(686)国懸神社に奉幣したと伝えらえている。『延喜式神名帳』には紀伊国一宮とされた。

持統年間に紀伊大神奉幣と見え、嘉祥三年には「左馬助従五位下紀朝臣貞守を遣わし紀伊国日前、国懸大神社に向かわしむ」と記す。

中世には熊野詣での途中で参拝されたと言う記録が残されている。

天正十三年(1585)豊臣秀吉の根来攻めで社領は没収され、その際に社殿が取り壊され境内は荒廃した。江戸時代には紀州徳川藩主により再興された。

★御神体が日矛鏡・日像鏡の御神体について《即ち石凝を以て冶工として 天香山の金を採りて、日矛をつくらしむ。又、真名鹿の皮を全剥ぎて、天羽(あまの)(はぶき)に作る。此を用て造り奉る神は、是即と紀伊国に所坐す日前神なり》日前・国懸神宮の社伝では、日矛とは矛であはなく日矛鏡と言う名のかがみである。三種の神器の一つである八咫鏡に先立って造られた「日像鏡」と「日矛鏡」の次に作ったのが、八咫鏡であると言う内容である。

現在まで日像鏡と日矛鏡は天照大神の前霊として日像鏡は日前神宮、日矛鏡は国懸神宮の御神体として奉斎されると伝わる。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

 

 

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