鎌倉・室町の群像伝』六十一”北条時宗“ 北条時宗(1251~1284)鎌倉幕府第七代執権。北条時頼の子。

北条時宗1
『鎌倉・室町の群像伝』六十一”北条時宗“
北条時宗(1251~1284)鎌倉幕府第七代執権。北条時頼の子。母は北条重時の娘。正嘉元年(1257)将軍宗尊親王の加冠により元服、1261年安達義景の女の堀内殿と結婚。1264年連署に就任。1266年将軍宗尊を廃し、その子惟康を将軍に立てる。1268年蒙古の国書がもたらされると執権に就任し、1271年には椿西に所領をもつ御家人に鎮西下向を命じ蒙古に備えた。1272年に一族の名越時章・教時、圃場時輔らを打(二月騒動)ち得宗としての地位を固める。1273年には御家人の所領の散失を防ぐために、御家人所領復令を出した。1274年元軍の来寇を退け(文永の役)翌年から翌々年にかけて異国警固番役の制度確立し、来航した元使を斬り、鎮西に石塁を築くなどして、防衛を強化、一方で高麗侵攻も企てた。1281年には再度元の襲来を退けた。(弘安の役)この間に北条一門による西国守護独占を進め、非御家人にも軍事動員を課すなど、得宗専制を推進した。朝廷に対しては、皇子の亀山天皇を治天の君に推し、1274年亀山に院政を開かせた。亀山の兄の後深草上皇がこれを不満を抱くと、1275年後深草の皇子煕仁親王を皇太子に立て、後深草系の持明院派と大覚寺派との融和を図った。時宗は禅宗に帰依し、欄溪道隆・大休正念に師事し、1279年宋の僧無学祖元を招く、1282年円覚寺を建て祖元を開山とした。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。


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