『鎌倉・室町の群像伝』五十四”慈円“ 慈円(1155~1225)平安末から鎌倉初期の僧侶。諡号慈鎮。関白藤原忠通の男、

慈円1

『鎌倉・室町の群像伝』五十四”慈円“
慈円(1155~1225)平安末から鎌倉初期の僧侶。諡号慈鎮。関白藤原忠通の男、同母兄に九条兼実がいる。1165年青蓮院の覚快親王の室に入り、1167年に出家し、道快を名乗る。僧としての昇進は1178年法性寺座主、翌年無動寺検校を経て、関白九条兼実在職時の1192年天台座主・権僧正となり頂上を極めたが、1196年の政変(兼実の関白・氏長者罷免)により座主を辞任した。1201年以降も、九条家の朝廷における影響力の低下に対応して3度も座主になり、辞職と還捕を繰り返した。その間、後鳥羽院の護持僧となって歌壇で活躍するが、九条家の勢力を確保しつつ、幕府と公家の友好関係の樹立を模索した為に、院権力拡大を進める後鳥羽院と対立した。天皇と摂関による共同統治を理想とした慈円の政治思想「愚管抄」からすれば、院政は不健全な大勢だが、半面、九条家の枠内でしか政治を考えられない限界もあった。承久の乱の勃発で慈円の狙いは水の泡と帰し、4年後に世を去った。学僧として膨大な著作をもの氏、歌人としても知られている。

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