スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『歴史の時々変遷』(全361回)271” 古田騒動”

古田5
古田6
『歴史の時々変遷』(全361回)271” 古田騒動”
「古田騒動」正保3年(1646)6月、江戸にある藩邸において、古田騒動が始まった。重恒は40歳を過ぎても子に恵まれなかった。跡継ぎがないために改易されることを恐れた江戸家老の加藤治兵衛と黒田作兵衛は、古田一族の古田左京の孫に当たる万吉を重恒の養子にしようと画策した。その計画を、加藤らから打ち明けられたことで知った重恒の側近・富島五郎左衛門が重恒に伝えた。重恒は自分に無断でそのような計画を立てていた加藤や左京らに対して激怒し、その一派全てを殺した。慶安元年6月16日(1648)、重恒は46歳で死去した。跡継ぎがなく、古田氏は改易された。この古田騒動には異説が多く、他の説では山田十右衛門という重恒の寵臣が、3名の家老の権勢を疎んじて重恒にこの3名のことを讒言し、それを信じた重恒が3名の家老を殺害、しかし重恒自身もまもなく狂気で自殺したと言われているいずれにしろ、重恒に実子も養子もなかったことは確からしく、そのため重恒の死去により、無嗣断絶で古田氏は改易となった。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。