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>『江戸泰平の群像』6・本多 康俊(1569~1621)は、戦国時代

本多4
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『江戸泰平の群像』6・本多 康俊(ほんだ やすとし)(1569~1621)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣。三河西尾藩主、近江膳所藩初代藩主。康俊系本多家宗家初代。徳川四天王の筆頭酒井忠次の次男。生母は松平広忠の妹なので、徳川家康とは従兄弟の関係に当たる。天正3年(1575年)、織田信長の人質として織田氏のもとへ赴いた後、天正8年(1580年)に本多忠次の養子となった。天正18年(1590年)、家康が関東へ移封されると、下総国に5000石の所領を与えられた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにも参加し、その戦功により三河西尾に2万石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では近江膳所城を守備し、翌年の大坂夏の陣では天王寺・岡山の戦いに参加して首級を105個も挙げたという。その戦功により、近江膳所に3万石で加増移封された。元和7年(1621年)2月7日、53歳で死去した。
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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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