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「一ノ宮巡り」大鳥神社・大阪府堺市西区鳳北町1の1の2・式内社・旧官幣大社 和泉国一ノ宮は大鳥神社である

大鳥2
大鳥1
「一ノ宮巡り」大鳥神社・大阪府堺市西区鳳北町1の1の2・式内社・旧官幣大社
和泉国一ノ宮は大鳥神社である。
祭神は日本武尊と合わせ地域の豪族大鳥連祖神を祀っている。
社伝に依れば東夷征伐の帰途我に病蒙り、伊勢国は能褒野に於て薨去(こうきょ)され白鳥と化し当地に留まったという。
大鳥氏は『新撰姓氏録』に和泉国神別で大中臣朝臣と同祖、天児屋根命の後なりとある。大同元年(806)神封二戸が寄せられた。神階は『日本三代実録』貞観元年(861)従三位昇叙された。
その後『和泉国神名帳』には正一位とある。
『延喜式神名帳』では名神大社に列し、祈年、月次、新嘗の官幣、祈雨神祭に八五社に一として臨時奉幣に預かり和泉国一ノ宮として朝野の崇敬を受ける。
平清盛、重盛父子が熊野詣の帰途に当社に祈願をして和歌、神馬を奉納している。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も社領を寄進し社殿の造営を行なっている。
天正年間には戦火で社殿は焼失、慶長七年(1602)豊臣秀頼により再興された。德川綱吉は柳沢吉明に修繕をせしめた。
★『古事記』のヤマトタケル説話の日本武尊命を祭神としている。
元来は一豪族の祖神を主体に祀っていたが、日本武尊が征西し熊襲を平定、再びイズモタケルを征伐し、再度東征し、伊吹山で病に倒れて、伊勢国の能褒(のぼ)野(の)で死去する。
遺体はその地に葬られるが、陵墓から白鳥が飛び立ち、大和国の琴引原で留まり、再び河内国の古市舞い降り、最後に大鳥の池に舞い降りた古事に習って社殿を建てて祀った。
この白鳥の舞い降りた由来で日本武尊の祭神として祀ったようである。
しかし本来大鳥氏は中臣氏と同じく天児屋根命を祖神としていたので、一時天照大神を祭神として祀っていた経緯があるようである。
和泉国で唯一の神名大社になって、境内の面積も一万五百坪の広さで、大鳥氏が強力な豪族として大きな影響力を有し、武功の神として平清盛も戦勝祈願をしたと伝えられており、一ノ宮大鳥神社として形成されていった。
鎌倉期には大鳥美波比神社・大鳥鍬靫神社・大鳥井瀬神社・大鳥濱神社と共に「大鳥五社」を形成し、「大鳥荘」となる。中世では和泉国一ノ宮として国衙から崇敬を受けるが、その後大鳥氏に代わって田代氏が主導権を奪われ衰退する。
神仏習合の時代には別当寺に大鳥山勧学院神鳳寺の行基なども関与し、三重の塔が建立し栄えた。
織田信長などの寄進を受けるが、戦火で焼失し豊臣秀頼の社寺造営の籠を受けて、神鳳寺共に栄えるが明治の廃仏毀釈によって神鳳寺の五重の塔など破却され、末寺共々大鳥神社も衰退していった。
明治維新の社格制度で再び官幣大社として再建され、祭神も祭神考証の結果、大鳥連の祖神に変更された。
これには神社側の反発が有ったが内務省の通達で決定された。
神社側の意向に沿った日本武尊が加えられ祀られたのは、国家管理から離れた戦後の事だった。
本殿の造りも大鳥造りと言う。「切り妻造・妻入り社殿」と言う出雲大社に次ぎ古い形式を持つ古形式を保っている。神の妹と言われていることもあり、謎の多い神である。


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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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