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『浪速史跡めぐり』南御堂(東本願寺難波別院)・大阪市内を南北を貫く目抜き通りは御堂筋であるが、その名の由来は浄土真宗両本願寺の別院

み南御堂2
『浪速史跡めぐり』南御堂(東本願寺難波別院)・大阪市内を南北を貫く目抜き通りは御堂筋であるが、その名の由来は浄土真宗両本願寺の別院が置かれていた所に大正十五年に着工し昭和12年に竣工を見た。
当初「こんな大きな道路を造って飛行場でも造るのか」と言う声が多かった。その地名にもなっている御堂は本願寺八世蓮如にその端が始まる。
大坂の教化の拠点御坊を山科本願寺が焼失後、本山を今の大阪城辺りの石山本願寺である。十一世顕如のときに、信長との戦いによる十一年間の石山合戦である。
和議の後、本山は紀州、貝塚、天満を経て、天正十九年豊臣秀吉より京都六条堀川の地を与えられた。
顕如の死後長男教如が十二世となったが、弟を寵愛する如春尼が秀吉に願い出て教如を隠居させた。准如が十三世となった。そ
の後教如は関が原で勝利した徳川家康に近づき勢力を取り戻し、現在の道修町に大田に本願寺を建立し難波別院に移り、徳川家から分派を認められた。
その後寄進など京都烏丸に東本願寺が建立された。東本願寺は京都に移転するまでは難波別院が本山であった。
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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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