「河内史跡探訪」“阿弖流為の首塚”所在地:枚方市牧野

あ阿弖流為1
あ阿弖流為2
「河内史跡探訪」“阿弖流為の首塚”所在地:枚方市牧野阪2丁目 牧野公園内最寄駅:京阪本線「牧野」下車、駅から東南約5分、片埜神社、隣接する公園に立ち寄ったところ、公園の中央にある真新しい石碑が目に飛び込んできた。 この塚には『伝 阿弖流為 母禮 之塚』とあり、傍らの説明板には、「802年(延暦21年)4月、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイと副将モレが同族500人を引き連れて降伏したことを朝廷に報告し、7月に2人を伴い帰京した。田村麻呂は2人の助命を朝廷に嘆願したが聞き入られず、2人は河内国で処刑された。」とあり、この地がそのゆかりの地としている。  『日本紀略』には河内国植山で処刑されたとあり、この植山は、現在の宇山に比定されるとのことである。(宇山は江戸時代の初め、旧名上山から宇山に地名が変更されている。) アテルイは、8世紀末から9世紀初めにかけて、東北地方で活躍した蝦夷のリーダーで、長期抗戦で何度も朝廷軍を打ち破ったと伝わる。
 大和朝廷から見れば彼らは服従もしない抵抗勢力だったかも知れないが、立場を変えれば、大和朝廷は侵略者である。これを有無を言わさずに処刑するとは、何時の時代も征服者は身勝手なものである。
 そのような中で、田村麻呂がアテルイたちの助命嘆願したとの話から、後の世の人は、日露戦争の時の乃木将軍とステッセル将軍のように、彼らの友情物語として話を今日まで伝わっているのは、一縷の救いでもある。 たまたま、6月のはじめのニュースで、「京都市山科区にある西野山古墓がその埋蔵物や平安時代の文献から見て、この墓が田村麻呂の墓であると判断される」との報道があった。アレルイの新しい塚の建造といい、田村麻呂の墓の発見といい、偶然として片付けるには不思議な縁である
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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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