史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

“日本名僧・高僧伝”64・覚如(かくにょ、覺如)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての浄土真宗の僧。本願寺第三世。「大谷廟堂」の寺院化(本願寺の成立)に尽力し、本願寺を中心とする教団の基礎

1覚如
覚如2
“日本名僧・高僧伝”64・覚如(かくにょ、覺如)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての浄土真宗の僧。本願寺第三世。「大谷廟堂」の寺院化(本願寺の成立)に尽力し、本願寺を中心とする教団の基礎となった。 本願寺(浄土真宗)の実質的な開祖[5]。(一般に開祖は、親鸞とされるが、親鸞自身に開宗の意思は無く。本願寺成立後、覚如が定めた。)親鸞の末娘である覚信尼の子、覚惠の長男。母は周防権守中原某の娘[6]。親鸞の曾孫にあたる。長男は存覚、次男は従覚。『報恩講私記』、『本願寺聖人伝絵』(『御伝鈔』・『親鸞伝絵』)、『執持鈔』[7]、『口伝鈔』[8]、『改邪鈔』[9]など多数撰述し、法然の正統な後継者としての親鸞と浄土真宗内における本願寺教団の優位性を主張した。年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つ為、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とし、南北朝時代の元号は、北朝(京都)で表記する。文永7年12月28日)、京都に生まれる。幼名は、「光仙」。文永9年(1272年)、母と死別する。文永11年(1274年)、5歳。この頃より仏門の道を志すようになる。建治3年(1277年)頃、隣房の慈信房澄海(ちょうかい)の元、内外の聖典の修学に励み、天台宗「初心集」を伝受される。弘安5年(1282年)(弘安7年〈1284年〉とも)、延暦寺の宰相法印宗澄(しゅうとう)に入門。天台の教えを受ける。弘安6年(1283年)、興福寺一乗院の信昭に入室し、法相の教えを受ける。信昭没後は、弟子の覚昭に付いて学ぶ。この間に、八宗兼学の自性房了然について三論教を学ぶ。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

 | HOME | 

文字サイズの変更

最新コメント

最新記事

カテゴリ

未分類 (1419)
鎌倉・室町の群像伝 (69)
古社寺探訪 (24)
浪速今昔百景 (4)
戦後日本のあの日あの時 (53)
河内古社寺探訪 (1)
神仏霊場巡り (49)
一ノ宮巡り (13)
西国観音三十三所巡り (28)
近畿三十三不動巡り」 (6)
西国四十九薬師巡り (10)
浪速史跡巡り (25)
河内史跡巡り (32)
遺跡巡り (10)
古事記が描く説話の憧憬 (8)
歴史の時 (0)
歴史の時々変遷 (8)

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

FC2Ad

Template by たけやん