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“日本名僧・高僧伝”62・日像(にちぞう、1269年9月7日(文永6年8月10日) - 1342年12月11日(康永元年/興国3年11月13日))は、鎌倉時代の日蓮宗の僧。俗姓は平賀

日像1
日ぞ2
“日本名僧・高僧伝”62・日像(にちぞう、1269年9月7日(文永6年8月10日) - 1342年12月11日(康永元年/興国3年11月13日))は、鎌倉時代の日蓮宗の僧。俗姓は平賀氏。幼名は経一丸。下総国の出身。房号は肥後房。肥後阿闍梨と称される。四条門流の祖。1275年(建治元年)日蓮の弟子で兄の日朗に師事した。その後、日蓮の弟子となり、経一丸の名を与えられ、玄旨伝法本尊と呼ばれる曼荼羅本尊を授けられた。1293年(永仁元年)日蓮の遺命を受け、京都での布教を決行した。途中、日蓮の足跡を巡り佐渡へ到着し法華経の布教をしたところ、石動山の僧・満蔵(日乗)が弟子となった。1294年(永仁2年)上洛して間もなく、禁裏に向かい上奏する。その後、辻説法を行い柳屋仲興、大覚寺の僧・大覚らから帰依を受ける。1307年(徳治2年)延暦寺、東寺、仁和寺、南禅寺、相国寺、知恩寺などの諸大寺から迫害を受け、朝廷に合訴され、京都から追放する院宣を受けた。追放中、真言寺の住持・実賢、極楽寺の住持・良桂、歓喜寺の住持・実眼らと法論を行い折伏した。1309年(延慶2年)赦免され、京都へ戻る。1310年(延慶3年)諸大寺から合訴され、京都から追放する院宣を受けた。1311年(延慶4年)赦免され、京都へ戻る。1321年(元亨元年)諸大寺から合訴され、京都から追放する院宣を受けたが、直ぐに許された。その後、後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を建立した。1334年(建武元年)後醍醐天皇より綸旨を賜り、勅願寺となる。
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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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