「新西国観音三十三所巡り」宝亀院〝新西国六番札所“高野山真言宗 別格本山・和歌山県伊都郡高野町高野山・本尊十一面観世音・観賢僧正・由緒は宝亀院は

ほ宝亀院x (2)
「新西国観音三十三所巡り」宝亀院〝新西国六番札所“高野山真言宗 別格本山・和歌山県伊都郡高野町高野山・本尊十一面観世音・観賢僧正・由緒は宝亀院は、永遠に生き、永遠に働き続けている弘法大師に仕える寺で、毎年、3月21日に弘法大師の衣替の儀式を司っており、延喜二十一年(921)、醍醐天皇の勅願により創建され、弘法大師生誕の年号を以って寺号としている。承和二年(835)3月穀奨を断つ事21ケ日、3月21日寅の刻(午前4時)62歳で、弘法大師はこの世の続く限り生き長らえて苦しみ悩む人々のためにその身を捧げんとして、永遠の禅定に入られた。悽絶なまでの衆生愛に燃える大師の精神力は、今もなお生き続け、人々に慈愛の手を差し伸べているのである。そして、この寺は、弘法大師に御衣を奉る寺であり、その衣を染める霊井は、生命の泉として清冽に湧出し、福智円満の功徳が授かると伝えられ、深い緑と清かな泉の宝亀院は、正に魂の憩め場として、他に類を見ないものである。本尊十一面観世音(重文)/辨財宇賀神/弘法大師御影/不動明王/厄除弘法大師/御衣唐樋等、重文多し ※その他に応挙、雪舟、英一蝶らの筆致は高野山最古の名刹の風格を偲ばせるに充分である。 弘法大師の没後86年目にあたる延喜21年(921年)10月のある夜のこと、醍醐天皇の枕元に弘法大師が立った。天皇は直ちに勅使を高野山に向かわせたところ、延喜21年11月のある明け方、御廟に弘法大師が現れたが、その衣はひどく汚れていたので、勅使に同行していた観賢僧正は大師の汚れた衣を替えたという。  このことが基になり延喜21年(921年)に醍醐天皇の勅命により観賢僧正はこの寺を開いたとされ、弘法大師の誕生が宝亀5年(774年)であることから、宝亀院と命名されたと伝えられている。以来毎年、大師の命日である3月21日には新しい衣を弘法大師御廟前に御供えするようになった。


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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
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