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「古社寺探訪」誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する

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こ誉田神社13
「古社寺探訪」誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する。社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最古の八幡宮を称している。奈良時代には行基によって神宮寺の長野山護国寺も創建された。永承6年(1051年)の後冷泉天皇行幸の際に、元の鎮座地から1町ほど南の現在地に遷座した。八幡神が源氏の氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって保護されたが、享徳3年(1454年)より始まった河内守護・畠山氏の内輪争いにより社殿・伽藍を焼失し荒廃した。三好氏により滅ぼされた応神天皇末裔の誉田氏の一部は、四国や九州に逃れ、また、江戸期には、関西一円の香具師(やし)(露天商)の元締めとして君臨したといわれている。河内国を支配下に置いた織田信長により、社領をすべて奪われた。その後、豊臣秀吉は社領200石を寄進し、社殿を再建した。天正14年(1586年)に社殿が焼失したため、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行ったが、拝殿の建造中に大坂夏の陣・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。神宮寺の長野山護国寺は、明治初年の廃仏毀釈により大半の建物が取り壊され、現在は南大門のみが残る。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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