「新西国観音三十三所巡り」當麻寺・、新西国11番札所“奈良県葛城市にある七世紀創建の寺院。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)

た当麻寺k (1)
「新西国観音三十三所巡り」當麻寺・、新西国11番札所“奈良県葛城市にある七世紀創建の寺院。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。奈良時代から 平安時代初期建立の二基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。中将姫の蓮糸曼荼羅(当麻曼荼羅)の伝説で知られる當麻寺は、二上山の麓に位置する。平安時代の浄土教僧で『往生要集』の著者である恵心僧都源信はこの地方の出身である。當麻寺はこの地に勢力をもっていた豪族葛城氏の一族である「当麻氏」の氏寺として建てられたものと推定されている。そして、当麻の地は役行者ゆかりの地であり、役行者の所持していた孔雀明王像を本尊弥勒仏の胎内に納めたという。平安時代以降、治承4年(1180年)、平重衡の南都焼き討ちにより、東大寺、興福寺などの伽藍の大部分が焼失したが、興福寺と関係の深かった當麻寺も焼き討ちの被害に遭い、東西両塔などは残ったが、金堂、講堂など、一部の堂宇を焼失した。平安時代末期、いわゆる末法思想の普及に伴って、来世に阿弥陀如来の西方極楽浄土に生まれ変わろうとする信仰が広がり、阿弥陀堂が盛んに建立された。
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