史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

“日本名僧・高僧伝”36・隆寛(りゅうかん、久安4年(1148年)- 安貞元年12月13日(1228年1月21日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての浄土宗の僧。

隆寛1
隆寛2」
“日本名僧・高僧伝”36・隆寛(りゅうかん、久安4年(1148年)- 安貞元年12月13日(1228年1月21日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての浄土宗の僧。父は少納言藤原資隆。字は皆空無我・道空無我。浄土宗長楽寺流の祖。多念義を説く中心人物。幼い頃に比叡山に登って延暦寺に入り、伯父の皇円に師事して天台教学を学んだ。また、皇円の法兄範源にも師事して、椙生流の相伝を受けた。さらには、天台座主慈円にも師事した。慈円との交渉は、和歌集『拾玉集』にもみられ、隆寛の実子聖増が慈円の弟子になったことも『尊卑分脈』では伝えている。元久2年(1205年)には、権律師に任ぜられた。法然への入門時期は不明だが、元久元年(1204年)3月には法然から『選択本願念仏集』を授けられている。しかし、元久元年の『七箇条起請文』では署名をしていないなど、この時期は天台僧としての立場を鮮明にしている。平生の念仏を重んじ、毎日数万遍の念仏を終生続けることによって、臨終にその業を成就し極楽に往生することができると説く多念義を主張し、長楽寺流の一派を形成した。とはいえ、自著である『一念多念分別事』では、一念と多念が言い争ってはならないと諍いを戒めている。嘉禄の法難では専修念仏を広めた中心人物として、嘉禄3年(1227年)に陸奥国配流を言い渡された。しかし、護送に当たった毛利季光(西阿)が帰依したことから、弟子の実成房が代わりに会津に赴き、隆寛自身は季光の領地である相模国飯山(現在の神奈川県厚木市)に止まり、同年この地で没した。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

 | HOME | 

文字サイズの変更

最新コメント

最新記事

カテゴリ

未分類 (1425)
鎌倉・室町の群像伝 (69)
古社寺探訪 (24)
浪速今昔百景 (4)
戦後日本のあの日あの時 (53)
河内古社寺探訪 (1)
神仏霊場巡り (49)
一ノ宮巡り (13)
西国観音三十三所巡り (28)
近畿三十三不動巡り」 (6)
西国四十九薬師巡り (10)
浪速史跡巡り (25)
河内史跡巡り (32)
遺跡巡り (10)
古事記が描く説話の憧憬 (8)
歴史の時 (0)
歴史の時々変遷 (8)

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

FC2Ad

Template by たけやん