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『歴史の時々変遷』(全361>回)163“西上作戦”「西上作戦」元亀3年(1572)9月から元亀4年(1573)4月にかけて行なわれた甲斐武田氏による遠征。武田信玄は戦国

西上①
西上5
回)163“西上作戦”「西上作戦」元亀3年(1572)9月から元亀4年(1573)4月にかけて行なわれた甲斐武田氏による遠征。武田信玄は戦国期に天文10年代から信濃侵攻を行い、駿河の今川氏・相模の北条氏と三国同盟を結び越後国の上杉謙信と対決し北信一帯まで領国を拡大した。一方で尾張国の織田信長は永禄年間までには尾張を統一し、永禄3年(1560年)には桶狭間の戦いにおいて駿河の今川義元を打ち取り、美濃への侵攻を行っていた。11月下旬、織田に「武田軍が二俣城を囲んだ」という報が届いた(信長公記)。信長はすぐに佐久間信盛・平手汎秀・水野信元らを派遣した。12月19日に正照は城兵の助命を条件にして開城し、浜松城に落ちていった。これにより、遠江の大半が武田領となり、また遠江の国人・地侍の多くも武田軍の味方となった。織田の援軍が到着した時、二俣城はすでに落ちており、武田軍は堀江城を攻めていた(信長公記)。信玄は信長と戦うまでは兵力の損耗や長期戦を嫌った。家康の居城・浜松城は東西420メートル、南北250メートルに及ぶ巨郭であり、多くの曲輪に仕切られた堅城であった。さらに徳川方には佐久間信盛・平手汎秀ら織田の援軍3000(織田軍記)~2万(甲陽軍鑑)が合流し、総勢1万1000~2万9000に増加していた。このため、信玄は浜松城の北5キロの地である追分に進出して家康を挑発して城から誘き出した。そして12月22日に行なわれた三方ヶ原の戦いは、連合軍不利な状況で開戦され、わずか2時間で武田軍の一方的な圧勝で終わった。武田軍の死者はわずか200人。連合軍は平手汎秀をはじめ、中根正照・青木貞治・石川正俊・小笠原安次・小笠原安広(安次の子)・本多忠真・米津政信・大久保忠寄・鳥居忠広ら2000が死傷するという状況であった。このとき、家康は山県昌景の猛攻を受け、家臣の夏目吉信が身代わりとなっている間に命からがら浜松城に逃げ込んだといわれ、しかも恐怖のあまり脱糞したと伝えられている。しかし家康の使った空城の計に疑念をもった山県昌景らは、浜松城までは攻撃しなかった。三方ヶ原で大勝した武田信玄であるが、すぐには三河に侵攻せず、浜名湖北岸の刑部で越年した。刑部は三河・遠江国境から20キロ手前に位置する地点である。信玄がなぜすぐに三河に侵攻しなかったかは不明である。家康の浜松城の牽制のためともいわれるが、三方ヶ原の戦いで大敗した家康に信玄と戦えるような余裕は無いはずである。恐らくは信玄の持病が悪化していたためか、あるいは味方であった朝倉義景が越前に撤兵したためではないかとも推測される。年が明けて元亀4年(1573年)1月3日、信玄は進軍を再開、遂に三河へ侵攻した。そして東三河の要衝である野田城を包囲する。 野田城は小規模な城であり、わずか400ほどの城兵しかいなかった。城主の菅沼定盈は信玄の降伏勧告を拒絶して徹底抗戦を行なったが、武田の大軍2万7000に対抗できるはずがない。しかし、信玄は野田城攻めは力攻めで行わず、金堀衆に城の地下に通じる井戸を破壊させるという水攻めを行なった。なぜ、信玄がこのように時間のかかる城攻めを行なったかは不明であり、野田城が水の手を断たれて降伏するのは2月10日のことである。野田城攻城戦に時間がかかった理由は、信玄の持病が急速に悪化したためとされるほか、松平記では信玄が野田城を包囲している際に美しい笛の音に誘われて本陣を出たときに鳥居半四郎なる者に狙撃されて負傷したという説などがある。このような信玄の遅々とした動きに疑念をもった織田信長は、2月から反攻に転じる。重臣の柴田勝家や丹羽長秀・蜂屋頼隆・明智光秀に命じて2月26日に近江石山城の山岡景友を降伏させ、2月29日には今堅田城の六角義賢らを討った。甲陽軍鑑によると、このような信長の動きを知った信玄は、3月に重臣の馬場信春に命じて東美濃に侵攻させて、信長が率いる織田勢を破って岐阜城に追い払ったとされている。ただし上記の通りこの頃の信長はまだ武田を攻撃する動きは見せていないため、甲陽軍鑑の記述は辻褄が合わない。しかし信玄の持病は良くならず、4月には病気療養を目的にして甲府への撤退を決意する。しかし4月12日、信玄は信濃駒場で急死し、西上作戦は頓挫することとなったのである。森田善明は、武田軍の北上は撤退ではなく、当初計画通りの神坂峠からの美濃侵攻が狙いであったとの説を唱えている。
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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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