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「二十二社巡り」上賀茂神社・山城国一ノ宮・賀茂別雷神社・祭神賀茂(かも)別(わけ)雷(いかづち)大神(おおかみ)

上賀茂神社⑨
「二十二社巡り」上賀茂神社・山城国一ノ宮・賀茂別雷神社・祭神賀茂(かも)別(わけ)雷(いかづち)大神(おおかみ)
京都府京都市北区上賀茂本山339・式内社・山城国一ノ宮・二十二社・旧官幣大社・ユネスコ「世界遺産」登録されている。
加茂川上流に位置して京都では最も古神社の一社。御神体の神山は神武天皇の御世に裏山の御蔭山に降臨(こうりん)したと伝えられている。賀茂御祖神社(下賀茂神社)と共に古代氏族を祀る神社である。
創建には諸説があるが、天武天皇七年(678)と社伝に伝えられている。
国史では文武天皇二年に賀茂祭の騎射が禁じられた記述が有り、天平勝宝二年には御戸代田一町が寄進された記録がある。
元明天皇和銅四年(711)より山城使いとして参向、聖武天皇御世には官弊が奉じられた。
付記すれば上下賀茂同じような後鳥羽上皇、亀山天皇の参篭が有って、建武年間には賀茂伝奏が置かれた。
神領は下社より多く二千百石(下社は五十四石)が寄せられた。
延暦十三年(794)の平安遷都の後は、王城鎮護の神社として尚一層の崇敬をうけた。
賀茂祭は勅祭とされ、『延喜式神名帳』には名神大社と列せられ、名月祭・月次祭・新嘗祭(にいなめさい)・相嘗祭などの各祭の幣帛(へいはく)に依ると記されている。
 『山城国風土記』には玉依(たまより)日売(ひめ)が加茂川の上流から流れてきた丹塗矢を床に置いた所懐妊し、そして生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依(あにたまより)日(ひ)古(こ)の子孫である賀茂県主が一族の奉(ほう)斎(さい)としたと伝える。
丹塗矢の正体は乙訓郡の火雷神の大山咋神とも言った。
 玉依日売とその父の賀茂建角身命は下賀茂神社に祀られている。 平安遷都では王城(おうじょう)鎮護(ちんご)の神社として一層の朝野の崇敬を受け正一位の神階を受けている。
 境内には三十四棟の国宝・重文の建造物がある。中でも細殿の前に円柱形の砂立ては御神体の神山を模ったもので、一種の神籬(依り代)である。
★『古事記』に登場する玉依日売と大山咋神について下記の様に記されている。
◎玉依日売タマヨリヒメは綿津見大神の子で豊玉姫の妹である。天孫(てんそん)降臨(こうりん)の編と草葺不合尊の編でも登場する。
何より、海宮に行った山幸彦の説話は起伏に富んで面白く描かれている。
また身に神霊を宿す女の通称。魂の憑かれる姫・巫女。
◎また玉依日売を妊娠させたと思われる火雷神・大山咋神は大年神とアメノチカルミズヒメの間に生まれた子である。
咋(くらう)は杭を打つ神、すなわち大きな山に杭を打つ神、大山咋神は日枝山(比叡山)は日吉大社と大きな関わりが有って、日吉大社に勧請された大物主神が西宮に祀られ、大山咋神は東宮に祀られている。
賀茂別雷神社の御神体が神山とあって、日吉大社・松尾大社にも巨大な磐座が有って共通点がある。
 何れにせよこち一帯が賀茂一族の先住地域ではなかっただろうか、また神山から神社の間には縄文土器や石器が多く発見されている。
◎賀茂(かも)建(つ)角(み)身命(みこと)は日本神話に出てくる神で、山城の賀茂氏(賀茂県主)の祖師である。賀茂御祖神社(下賀茂)の祭神である。『新選姓氏録』に依れば賀茂建角身命は神魂命の孫である。
また神武天皇の東征の際天照大神・高木神の命を受けて日向の曾の峰に天下り、大和は葛木山に至り、八咫烏に化身をして神武天皇を先導した。
その後『山城風土記』には、大和から葛木山から山代の岡田の賀茂に至り、高野川と鴨川の合流点に鎮まった。賀茂建角身命には二柱の御子神がいる。建玉依比古命は後に賀茂県主になる。建玉依比売命は、丹塗矢に化身した火雷神を床の近くに置いていた所、賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)を妊娠した。


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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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