『浪速史跡めぐり』露天神社(お初天神)・大阪梅田は曽根崎、「誰が告ぐるとは曽根崎の、森の下風音に聞え、取伝え貴賎郡集の回向の種、未来成仏、仏疑ひなき、恋の手本と成りにけり」この近松門左衛門の「曽根崎心中」

 お初天神『浪速史跡めぐり』露天神社(お初天神)・大阪梅田は曽根崎、「誰が告ぐるとは曽根崎の、森の下風音に聞え、取伝え貴賎郡集の回向の種、未来成仏、仏疑ひなき、恋の手本と成りにけり」この近松門左衛門の「曽根崎心中」は元禄十六年に露天神社の境内の「天神の森」で遊女のお初と手代の徳兵衛が非業の死を遂げた、心中事件にまつわる悲恋物語である。以後三百年参拝する老若男女が絶えず「お初天神」と親しまれている。

露天神社の創建は古く、平安時代は初期の文徳天皇の時代に「難波八十島祭」の「浪華の古図」にも記載されているようで、当寺は曽根崎辺りまで海が迫り、海に浮かぶ「曽根崎洲」まで遡れるという。祭神としては少名彦(医学、薬学)大己貴(大国さん)天照大神、豊受大神、菅原道真が祀られている。菅原道真が大宰府に流される折に大阪の港に停泊し「太融寺」により露天神社により歌を詠んだと伝えられており、南北朝辺りには曽根崎中州も拡大し、太融寺の源融の末裔で土豪の渡辺氏も、この地の開発に寄与している。

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