「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『戦国時代の群像』73(全192回) 大内 義長(?~1557)周防・長門両国の戦国大名

 義長3『戦国時代の群像』73(全192回)

大内 義長(?~1557)周防長門両国の戦国大名。周防大内氏の第32代で事実上最後の当主。豊後大友氏20代当主・大友義鑑の次男として生まれる。天文12年(1543)に尼子晴久との戦いで大内軍が敗走する際に義隆の養嗣子である晴持が死去したため、継嗣を失った義隆は天文12年(1544)に姉婿である義鑑の次男である八郎晴英を猶子とした。室町幕府12将軍足利義晴から偏諱を与えられ、晴英(はるひで)と名乗る。晴英はあくまで養嗣子ではなく猶子であり、これは義隆に将来実子が生まれなかった場合に家督相続人とする含みを持っていたが、大友氏ではこれを歓迎した。しかし天文14年(1545)、義隆に実子の義尊が誕生したため、猶子関係を解消され、帰国した[2]。この時の義隆の実子誕生と晴英の縁組解消は九州諸大名にかなりの衝撃を与えたとされている。その後、義隆の重臣・陶隆房が義隆に対して謀反を企てると、隆房は天文20年(15515月に晴英を大内氏の新当主に迎えることを望んだ。晴英の兄・大友義鎮は、当初から隆房が晴英を傀儡として擁立するだけで、自分の政権が揺ぎないものとなれば廃位されるに違いないと疑い反対したが、晴英自身が大内氏の当主となることを望み「この要請を断り中傷を受けることの方が悔しいので、命は惜しくない」と主張したため、義鎮もこれを認めた。そして9月に謀反(大寧寺の変)が実行され義隆・義尊父子が殺され、大内領内における混乱がひとまず収束した後の天文21年(155233日、山口に入って大内家の新当主として擁立された。この時、大内氏の祖先とされる百済琳聖太子が上陸したと伝えられる周防国の多々良浜に上陸して山口に向かっており、大内氏の故事を踏襲して当主としての正統性を示そうとしたと考えられている。また、隆房も晴英を君主として敬うことを内外に表明するため、晴英から偏諱を拝領し、晴賢と改名した。この時の政治に関しては文書形式も奉書・直書も義隆時代と同様であり、晴英の命令を晴賢が奉じる形になっていた。ただし偏諱を受ける場合はあくまで当主の諱の下字を受けるものであるが、晴賢の場合は上字を受けており、晴英と晴賢の主従関係が通常とは全く異なる事を意味している。天文22年(1553)春、室町幕府13代将軍・足利義藤(のちの義輝)から偏諱を受けて義長(よしなが)と改名し、同年閏127日、従五位下左京大夫に叙任された。これは歴代当主にならって大内家当主である事を強調するためであった[4]。しかし当主になったとはいえ、実質的には晴賢の傀儡であった。天文23年(15543月には、三本松城主の吉見氏討伐のため総大将として出陣するが、全軍の指揮は事実上晴賢が執っている(三本松城の戦い)。また、弘治2年(1556)には、勘合貿易の再開を求めてに使者を派遣したが、明からは正統な大内氏当主としての承認を拒まれている。弘治元年(1555)、晴賢が毛利元就との厳島の戦いで敗死すると、血縁があるとはいえ一度解消された経緯のある養子だった義長の求心力は低く、ただでさえ晴賢の謀反やその他の内訌で弱体化していた家臣団は完全に崩壊し、大内家は急速に衰退していく。義長は兄義鎮に援軍を求めたが、義鎮は元就との間に大内領分割の密約を結んでいたために応じなかった。また義鎮は大内家の家督に興味を示さず、何ら野心の無い事を元就に約していたという。こうして後背の安全を得た毛利氏防長経略で弘治3年(15573月、山口へ侵攻。義長は寡兵をもってよく防戦したが、結局高嶺城を放棄し、重臣・内藤隆世の長門且山城へ敗走した。しかしすぐに毛利軍の福原貞俊により且山城を包囲され、隆世は義長の助命を条件に開城し自刃した。義長も長門長福院(現在の功山寺)に入った後に毛利軍に囲まれて自刃を強要され、陶鶴寿丸(晴賢の末子とされる)らと共に43日に自害した。享年26

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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