『浪速史跡めぐり』吾彦山観音寺「我孫子観音」・地下鉄あびこ駅下車西直ぐにあって、開基聖徳太子と言われ、往時は東、西、中の三坊を中心に三十六の堂塔

あ我孫子観音6『浪速史跡めぐり』吾彦山観音寺「我孫子観音」・地下鉄あびこ駅下車西直ぐにあって、開基聖徳太子と言われ、往時は東、西、中の三坊を中心に三十六の堂塔があって大いに栄えた。

空海が中之坊不動院建立をして再興した。この寺の本尊は、天平四年(742)聖武天皇の病気のとき行基を和泉の水間の滝に派遣し滝から観音像を得て慶安年間に迎えお祀りしたと言う。

護摩堂の本尊「油の不動明王画像」は後醍醐天皇の勅願仏といわれている。

その他に楠木正成、秀吉の武具類などの寺宝は多くあったが明治の火災で焼失明治三十年(1897)に再建された。

境内は「厄除け観音」として節分、初午には大法会があって「入学」「安産」などの庶民の願いは現世利益として、人の絶えることは無い。

境内にある大きな大楠の木は「観自在」と名付けられ子の地の人々を七百年近く見守り続けてきた物で南北朝の戦乱、大阪夏の陣を見てきた生き証人である。

 

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