「西国観音三十三所巡り」総持寺””西国22番札所“・本尊千手観音菩薩・高野山真言宗・大阪府茨木市総持寺・西国二十二番札所・

そ総持寺③ 西国観音三十三所巡り」総持寺””西国22番札所“・本尊千手観音菩薩・高野山真言宗・大阪府茨木市総持寺・西国二十二番札所・寺伝によれば創建については五キロ東の淀川の関係の深い中納言藤原山蔭が、父高房が継母の命令で淀川に突き落とされた。高房は子の若君の姿を一目見たいと、観音菩薩にすがった所、死んだはずの若君が前日に助けた亀に乗って帰ってきたのである。高房は「尊像を刻み、伽藍を建立する」観音に約束をしたが、実現できないままに死んでしまった。子の山蔭は亡父の願いをかなえるために奔走し仁和二年(886)堂宇を建立したと伝える。以後の当寺は藤原山蔭一族が氏寺として維持してきた。平安時代には一条・後一条・白河・鳥羽天皇の勅願時となって、寺勢は上向き南北朝時代には広大な境内を持つ寺院になった。戦国時代には消失したが豊臣秀頼に再興された。

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