「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『歴史歳時記豆知識』82・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称

義医師4 (2)義医師4 (1)『歴史歳時記豆知識』82・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。当時、日本列島にいた民族・住民の倭人日本人)の習俗や地理などについて書かれている。著者は西晋陳寿で、3世紀末(280年(呉の滅亡297(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた。『三国志』の中に「倭人伝」という独立した列伝が存在したわけではなく[3]、「東夷伝」の中に倭及び倭人の記述がある。従って倭人に関する条のみならず、東夷伝のすべてを通読しなければ意味がないという考え方もある。さらに、『三国志』の研究者である渡邉義浩は「『三国志』の著者である陳寿233297年)の世界観や政治状況は、約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之372451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、世界観を形成している儒教のに通じなければ分からない」と述べている[6]。中国の正史中で、はじめて日本に関するまとまった記事が書かれている。『後漢書』東夷伝のほうが扱う時代は古いが、『三国志』魏志倭人伝のほうが先に書かれた。なお講談社学術文庫『倭国伝』では『後漢書』を先に収録している。当時の(後の日本)に、女王の都する邪馬台国(邪馬壹国[8])を中心とした国が存在し、また女王に属さない国も存在していたことが記されており、その位置・官名、生活様式についての記述が見られる。また、本書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、3世紀の日本を知る史料となっている。しかし、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らないことから、邪馬台国に関する論争[10]の原因になっている。 また一方で、岡田英弘など『魏志倭人伝』の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいる。岡田は位置関係や里程にズレが大きく信頼性に欠ける点[11]を根拠として挙げている。渡邉義浩は『魏志倭人伝』には「卑弥呼が使者を派遣した当時の曹魏の内政・外交や史家の世界観に起因する、多くの偏向(歪んだ記述)が含まれている」と指摘している。現存する数種の版本のうち、の時代の19世紀の影印本「百衲本」(南宋期の版本の影印)が最も善本とされる。活字本としては現在の中国で諸本を校訂し、句読点を付した「中華書局本」が(初版1959年、北京)、日本でも入手可能である。また、返り点をつけたものとして、講談社学術文庫『倭国伝』がある。「倭人伝」は、影印本の写真版を見れば段落もなく書かれているが、中華書局版と講談社学術文庫版では6段落に分けられている。内容的には、大きく3段落に分けて理解されてい[る。元々は男子を王として70 - 80年を経たが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼と言う一人の少女を女王に共立することによってようやく混乱を鎮めた。卑弥呼は、鬼道に事え衆を惑わした。年長で夫はいなかった。弟が国政を補佐した。王となって以来人と会うことは少なかった。1000人の従者が仕えていたが、居所である宮室には、ただ一人の男子が入って、飲食の給仕や伝言の取次ぎをした。樓観や城柵が厳めしく設けられ、常に兵士が守衛していた。卑弥呼は景初2年(238)以降、帯方郡を通じて魏に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられた。正始8年(247)には、狗奴国との紛争に際し、帯方郡から塞曹掾史張政が派遣されている。「魏志倭人伝」の記述によれば朝鮮半島の国々とも使者を交換していた。正始8年(247)頃に卑弥呼が死去すると塚がつくられ、100人が殉葬された。その後男王が立てられるが人々はこれに服さず内乱となり1000余人が死んだ。そのため、卑弥呼の後継者(宗女)である13歳の少女の壹與が王に立てられ国は治まった。先に倭国に派遣された張政は檄文をもって壹與を諭しており、壹與もまた魏に使者を送っている。魏に代って成立したの皇帝(武帝)に朝貢したものと考えられる。3世紀半ばの壹與の朝貢の記録を最後に、5世紀義熙9年(413)の倭王讃の朝貢(倭の五王)まで150年近く中国の史書からは倭国に関する記録はなくなる。この間を埋めるものとして広開土王碑がある、碑には391年に倭が百済新羅を破り、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)と戦ったとある。

 

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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