「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『社寺神仏豆知識』71・院家(いんげ)とは、寺院を構成する塔頭のこと。出身身分に由来する僧侶の身分。

 院家4院家1『社寺神仏豆知識』71・院家(いんげ)とは、寺院を構成する塔頭のこと。出身身分に由来する僧侶の身分。門跡に次ぐ。単に「院」とも呼ばれる。大寺院の内部においてその一郭を占めて、寺院本体とは別に独自の所領・組織を保有した別院を構成する塔頭及びそこに止住する僧侶集団を指す。本来、寺院の僧侶は三面僧房で共同生活を送ることが原則とされていたが、僧侶の中には修行に専念するために独自の僧房を設置して独立空間を構える者もいた。これが院家のルーツである。特に複数の宗派が混在する寺院が多かった平安時代においては、同じ宗派を信奉する僧侶が1つの院家において集団生活を行い、修行・研究の場とするケースも多かった。なお、後世では門跡寺院において、下記僧侶身分の院家が止住する塔頭のことも指した。皇族及び貴族身分出身の僧侶。後に同身分が居住する塔頭のことも指した。元は昌泰2年(899)の宇多上皇出家の際に、上皇とともに仁和寺の院家の1つであった「御室」に付き従って出家した皇族・貴族達を指した。当初は「門跡」と混同して用いられていたが、後には門跡に次いでこれを補佐する身分とされて門跡に就任するための要件とも考えられるようになった。このため、院家は平民出身の凡僧とは格別した身分的特権が与えられるようになるとともに、その実家の財政力を背景に既存の院家を獲得あるいは新規に創設することが盛んに行われるようになった。門跡寺院に付属する院家の代表的なものとしては延暦寺青蓮院興福寺一乗院大乗院醐寺三宝院南禅寺金地院相国寺鹿苑院などが挙げられる。こうした院家からは凡僧は排除されて皇族・貴族身分の学侶だけが止住を許されていた。また、新たに門跡寺院に加えられた寺院が自己の別院・末寺を院家として設定することも行われており、永禄3年(1560)には前年の本願寺門跡寺院指定に伴って摂津富田教行寺伊勢長島願証寺などの9ヶ所の末寺が尊助法親王によって院家として定められている。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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