『戦国時代の群像』55(全192回)「顕如」(1543~1592)顯如は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。

 顕如5『戦国時代の群像』55(全192回)「顕如」(1543~1592)顯如は、戦国時代から安土桃山時代浄土真宗。顕如はであり、は光佐。院号は信樂院。本願寺第十一世。妻は三条公頼の三女の如春尼。子に教如顕尊准如がいる。織田信長の宿敵であり、武力によって天下統一を狙う信長を仏敵とし、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけ、決戦を挑む。軍事的、経済的にも圧倒的に有利な織田軍相手に調略によって信長包囲網を結成し、10年以上にわたって信長と激しい攻防を繰り広げた。天文121月71543)、本願寺第十世・証如の長子として誕生。母は庭田重親の娘・顕能尼。天文23年(1554812日、父である証如が重態となり、12歳で急遽得度。同じ日に元関白である九条稙通の猶子となる(九条家の猶子となるのは父・証如の先例による)[1]。翌13日、証如の死により本願寺を継職し、祖母・鎮永尼の補佐を受けて教団を運営した。弘治3年(15574月17六角定頼猶子(実父は三条公頼)の如春尼と結婚した。如春尼の実の姉は武田信玄正室三条夫人であり、信玄と顕如は義兄弟にあたる。顕如の時代、本願寺教団は、証如の時代以来進めてきた門徒による一向一揆の掌握に務める一方、管領の細川家や京の公家との縁戚関係を深めており、経済的・軍事的な要衝である石山本願寺を拠点として、主に畿内を中心に本願寺派の寺を配置し、大名に匹敵する権力を有するようになり、教団は最盛期を迎えていた。しかし、本願寺は武家封建関係の外でこのような権力を握っていたことから、延暦寺町衆などと同様に、永禄11年(1568)に将軍・足利義昭を奉じて上洛し、義昭を通じて影響力を強めていた織田信長による圧迫を受けるようになり、顕如は信長と敵対する。元亀元年(1570)に本願寺と織田氏は交戦状態に入った(野田城・福島城の戦い)。一連の抗争は石山合戦と呼ばれる。その後、元亀年間に将軍・義昭と信長は反目し、義昭は甲斐国の武田氏をはじめ越前国の朝倉氏、近江国の浅井氏らに反織田勢力を迎合し、信長包囲網を構築した。本願寺も信長包囲網の一角を担い、顕如は自ら石山本願寺に篭城し、雑賀衆などの友好を結ぶ土豪勢力と協力する、地方の門徒組織を動員して一向一揆を起こさせる(長島一向一揆など)などして信長に対抗した。しかし、元亀4年(15734月には武田信玄の死を契機に包囲網が破綻。朝倉・浅井・足利などの同盟勢力は次々と織田氏によって滅ぼされ、木津川口の戦いなどで抵抗を続けた本願寺も最終的には抗戦継続を諦め、朝廷を和平の仲介役として天正8年(1580)に信長と和睦。顕如自身は石山を退去し紀伊国鷺森別院に移った。本能寺の変後、信長に代わって畿内の実権を握った羽柴秀吉(豊臣秀吉)と和解し、天正13年(1585)に石山本願寺の寺内町をもとに秀吉が建設した大坂の郊外にある摂津中島(後の天満の町)に転居して、天満本願寺を建立する。ここはルイス・フロイスいわく「秀吉の宮殿の前方にある孤立した低地」で、さらに「住居に壁をめぐらしたり堀を作る」ことを禁じられるなど[3]、本願寺は豊臣政権の強い影響下に置かれることになった。一方で、大坂城下町建設に本願寺とその門徒が持つ経済力・技術力を利用する狙いもあった。天正14年(1586)、秀吉に九州平定に同行するよう命じられ、下関に滞在した[4]。天正17年(1589)に京都聚楽第の壁に書かれた落書の犯人が本願寺寺内町に逃げ込み、更に天満に秀吉から追われていた斯波義銀細川昭元尾藤知宣が隠れているという情報を入手したことから3月に石田三成によって寺内成敗(寺内町の取締とこれらの容疑者を匿ったとされた2町の破壊)が行われた。義銀らは捕らえられなかったものの、容疑者を匿ったとされた天満の町人63名が京都六条河原で磔とされ、顕如は229日に秀吉から浪人の逃亡を見過ごしていたことを理由に叱責を蒙り、38日には容疑者隠匿に関与した願得寺顕悟蓮如十男・実悟の長子)に自害を命じるなど、かつての領主権力は完全に失われていった[5]。 さらに天正19年(1591)に秀吉によって京都の七条堀川の地に寺地を与えられ、京都に本願寺教団を再興した。天正2011月241592)、50歳にて示寂。顕如が没すると、石山本願寺退去時の信長への対応をめぐって顕如(和睦派)と意見の食い違いがあった長男の教如(強硬派)に代わり、三男の准如12世宗主に立てられることになった(次男は興正寺顕尊)。こうして教団内部で対立状況が継続する中、徳川家康による寺地の寄進がなされ、慶長7年(1602)、教如と彼を支持する勢力は独立して東本願寺を建立した。このため、本願寺は、准如の本願寺(西本願寺)と教如の本願寺とに分裂することになった。

 

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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