「温故知新」        川村一彦

歴史は語る。

『社寺神仏豆知識』66・神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。大祭。五穀豊穣

 kannname 1官滑絵⑤『社寺神仏豆知識』66・神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。大祭五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が行われる。また、祝祭日の一つで、季語でもある。宮中祭祀の大祭で、その年の初穂を天照大御神に奉納する儀式が行われる。かつては911旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、917(旧暦)に奉納した。1873明治6年)の太陽暦採用以降は新暦917に実施となったが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、1879(明治12年)以降は月遅れとして1017に実施されている。古来より神嘗祭には皇室から神宮へ幣帛使が派遣されたが、応仁の乱以降は中断も多かった。しかし、1647正保4年)に幣帛使の発遣が復活して以降は中断なく派遣が行われている。1871(明治4年)以降は皇居賢所でも神嘗祭の儀式が行われた[1]。神嘗祭の儀式に先立って、天皇宮中三殿の神嘉殿南庇で神宮を遥拝する。1908(明治41年)919制定の「皇室祭祀令」では大祭に指定。同法は1947昭和22年)52に廃止されたが、以降も宮中および神宮では従来通りの神嘗祭が行われている。「神嘗」は「神の饗(あえ)」が変化したと言われる。「饗え」は食べ物でもてなす意味である。また、饗は新殻を意味する贄(にえ)が転じたとする説もある。神宮では、神嘗祭のときに御装束・祭器具を一新する。神宮の正月ともいわれる。神宮の式年遷宮は、大規模な神嘗祭とも言われる。神宮では、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」とも呼ぶ。伊勢の民衆は、この祭りを「おおまつり」と呼び、奉祝の行事を行う。神宮の神職や伊勢の神領民はこの祭りが終わるまで新穀を口にしないとされる。また、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1874(明治7年)から1947年(昭和22年)まで同名の祝祭日休日)であった。上述の稲穂の生育が不十分であることによる変更に伴い、1878年(明治11年)までは917日、1879年(明治12年)からは1017日となる。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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