「河内史跡巡り」長栄寺・河内西国観音三十三番札所・聖徳太子の開基と伝えられていますが、後年荒れてしまった当寺を延享元年(一七四四)二十七歳の慈雲尊者が中興

ち長栄寺2「河内史跡巡り」長栄寺・河内西国観音三十三番札所・聖徳太子の開基と伝えられていますが、後年荒れてしまった当寺を延享元年(一七四四)二十七歳の慈雲尊者が中興。ここで弟子たちと修行し、正法律(真言律)の復興を唱え、その道場としました。享保三年(一七一八)大坂中之島の高松藩蔵屋敷で生まれた慈雲は、大阪南田辺の名刹真言宗法楽寺で得度。のち、二十七歳でこの長栄寺へ来たということです。以後高貴寺とともに正法律の一派として幕府に認可され、広められることになります。慈雲は宗派にとらわれず、それまで漢訳仏典でこと足れりとしてきた日本の仏教界を批判しました。梵学(サンスクリット学)をもきわめた彼はその後有馬、長尾の滝、京都、河内高貴寺などに転住しますが、この寺へはよく立ち寄り、大阪における説法は常に長栄寺でおこなわれました。尚、昭和二十一年より当寺は、新真言宗の寺となっています。永和駅より徒歩二〇〇メートル、鴨高田神社のすぐ北隣にあります。境内の庭園は四季折々の花で美しく彩られますが、とりわけ梅と桜が見事です。歴史を感じさせる風格のある広い境内ですが、戦後の改革で縮小されるまでは、今よりはるかに広大な地所を所有していました。この付近にはかつての寺院の威光の名残としての地名が、いたるところに点在しています。たとえば長堂という地名は、長栄寺のお堂があったことに由来するものだとか。また百済山という山号は、仏教伝来時この地域を中心に百済系渡来僧によってとくに教化されたことによるともいわれています。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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