「河内史跡巡り」観音寺・河内西国観音九番札所・天冠山智識寺中門観音寺、 略して観音寺は、柏原太平寺集落

か観音寺河内2 (1)「河内史跡巡り」観音寺・河内西国観音九番札所・天冠山智識寺中門観音寺、 略して観音寺は、柏原太平寺集落の 東側山手にあって、もと「河内 六大寺」の一つである智識寺の一 堂宇、観音堂のなごりといわれ ています。河内六大寺とは智識 寺のほか、山下、大里、三宅、家 原、鳥坂の合わせて六つの大寺 院が、いずれも奈良時代、河内 国大県郡内の山麓沿いに堂塔 をきそうように建ち並んでいた と考えられるものです。河内の 仏教文化の華がここに咲いてい る―まことに壮観であったと想 像されます。柏原の地が難波か ら平城への交通の要衝にあり、一 泊休憩する場所であったことも 重要な意味をもつと考えられ ます。天平十二年(七四〇)に聖武 天皇は難波への行幸の折、智識 寺に安置されていた丈六(一丈六尺)の盧舎那大仏を参拝し、当 時日本最大の大仏に感動、深 く印象づけられます。このこと が機縁で天平十五年(七四三) 十月に東大寺大仏の造立を発 願されることになったと伝えら れています。智識寺はもと七堂 伽藍をそなえた大寺院で、西塔・ 東塔のある薬師寺式の伽藍配 置であったと考 えられていますが、 平安時代の応徳三年(一〇八六) 落雷のために倒壊、再建されな いで今日に至っています。柏原市 大字太平寺二丁目付近が寺跡 と推定されるところ。現在東搭 の心礎は、近くの石神社の境内 に残されていて、自由に見学す ることができます。この東搭心 礎の柱穴の直径は、約一・二メー トルもあり、このことから智識 寺の搭は、高さが五十メートル はあったと推定されます。

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