史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

『戦国時代の群像』36(全192回) 「赤松 政秀」(1510~1570)戦国時代の武将。播磨国龍野城主。祖父と同様、宇野下野守とも称される。播磨龍野城主

赤松4『戦国時代の群像』36(全192回)

「赤松 政秀」(1510~1570)戦国時代武将播磨国龍野城主。祖父と同様、宇野下野守とも称される。播磨龍野城主・赤松村秀の子として誕生。天文10年(1541)、父・村秀が死去し、跡を継ぐ。政秀は智勇に優れた人物で、赤松晴政の嫡男・義祐を擁する浦上政宗置塩城を追われた晴政を保護し、永禄9年(1566)に政宗を討つなど、赤松氏の再興に尽力した。主家である赤松義祐との関係は決して良好ではなく、庇護していた晴政が病死すると義祐と一時的に和睦したが、やがて対立し独立勢力化し、室町幕府15将軍足利義昭及び織田信長との同盟を画策し義祐と対立した。また、浦上氏の同盟者であった小寺氏とはその後も激しく対立し、東播磨の実力者である別所安治と手を結んで、小寺政職やその家臣・黒田職隆と戦い、西から侵攻してきた政宗の弟の浦上宗景(ただし政宗とは別家)とも戦った。しかし、小寺氏の家臣・黒田孝高の奇襲により大敗し、多くの有力家臣が戦死した(青山・土器山の戦い)。軍事的な抵抗力を失った政秀は浦上氏の前に降伏を余儀なくされ、永禄12年(156911月に宗景に降伏。西播磨における覇権を失う。元亀元年(15701112日、毒を盛られて暗殺された。浦上宗景の手の人間に毒殺されたという。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

 


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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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