史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

『社寺神仏豆知識』58・大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ音写:摩訶迦羅

 だいこく5aaa.jpg社寺神仏豆知識』58・大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラ音写:摩訶迦羅など)のことである。密教の大黒天 - マハーカーラが元になり出来た密教の神である。仏教の大黒天 - 密教の大黒天が元になり出来た仏教の天部に属するである。神道の大黒天 - 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られる。ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。マハーとは大(もしくは偉大なる)、カーラとは時あるいは黒(暗黒)を意味するので大黒天と名づく。あるいは大暗黒天とも漢訳される。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。密教の伝来とともに、日本にも伝わった。日本で大黒天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道大国主神仏習合した日本独自のをさすことが多い。マハーカーラは、戦闘・財福・冥府という3つの性格を持つ。破壊・戦闘を司る神としては、尸林に住み隠形・飛行に通じて、血肉を喰らう神で、この神を祀れば加護して戦いに勝つという。財福としてはヴィシュヌ地天の化身として、インドの寺院にて祀られる。冥府としては、焔摩天と同一視して塚に住むという。シヴァ神のマハーカーラがそのまま密教に取り入れたため、初期の大黒天はシヴァと同様に四本の手に三叉戟、棒、輪、索をそれぞれ持った像として描かれた。さらには、ブラフマーとヴィシュヌをも吸収していき、ヒンドゥー教の三神一体(プラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)に対応した三面六臂の憤怒相の大黒天(マハーカーラ)も登場した。後期密教を継承したチベット仏教では、大黒天(マハーカーラ)の像容は多彩であり、一面二臂・一面四臂・一面六臂・三面二臂・三面四臂・三面六臂などがある。(シヴァに由来しながらも)シヴァとその妻パールヴァティー、もしくはガネーシャを踏みつけてヒンドゥー教を降伏させて仏教を勝利させる護法尊としての姿が主流となった。チベット・モンゴル・ネパールでは貿易商から財の神としての信仰を集め、チベットでは福の神としての民間信仰も生まれた。偽経とされる「大黒天神法(嘉祥寺神愷記)」によれば、大自在天(シヴァ)の化身とも、地天の化身ともされる[2]。また、三年間専心して供養すれば、富貴または官位爵祿を授けるとも説かれる。胎蔵界では「摩訶迦羅天」と号される。また、孔雀王経が説くとして、摩醯首羅(マヘーシヴァラ)の化身であり、勇猛で必勝の戦闘神であるとする。日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。「大黒天神法(嘉祥寺神愷記)」には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている。この袋の中身は七宝が入っているとされる。胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。ほとんどが一面だが、上述のように毘沙門天・弁才天と合体した三面六臂の大黒天も作られた。以上のような憤怒相は鎌倉期の頃までで、これ以降、大国主神と習合して現在のような福徳相で作られるようになるが、まれに観世音寺福岡県)にある大黒天立像のように憤怒相の像も見られる。日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時にが助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参照)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。春日大社には平安時代に出雲大社から勧請した、夫が大国主大神で妻が須勢理毘売命(すせりひめのみこと)である夫婦大黒天像を祀った日本唯一の夫婦大國社があり、かつて伊豆山神社(伊豆山権現)の神宮寺であった走湯山般若院にも、像容が異なる鎌倉期に制作された夫婦大黒天像が祀られていた(現在では熱海の古屋旅館に存在する)。日本一大きいえびす、大黒の石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とされている。 大黒と恵比寿は各々七福神の一柱であるが、寿老人と福禄寿が二柱で一組で信仰される事と同様に、一組で信仰されることが多い。神楽などでも恵比寿舞と大黒舞が夙(つと)に知られ、このことは大黒が五穀豊穣の農業の神である面と恵比寿が大漁追福の漁業の神である面に起因すると考えられている。また商業においても農産物や水産物は主力であったことから商売の神としても信仰されるようになっていった。民間の神道において福徳神の能力の一つから子宝や子作り信仰と呼ばれるものがあり、大黒天の像が米俵に載っている(写真参照)のは実は男性器をあらわしていると言われ、具体的には頭巾が男性器の先端部分をあらわし、体が男性器本体、そして米俵が陰嚢であるとの俗説がある。これは像の背後から観察すると容易に理解できるものであり、生殖器崇拝の影響が伺える。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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