『歴史歳時記豆知識』66・朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門

 朱雀紋1『歴史歳時記豆知識』66・朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京平安京といった条坊都市宮城大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門であった。「しゅじゃくもん」ともいう。中国の条坊制を模範に造営された古代都城では、中央北辺に宮殿、官衙からなる宮城が置かれた。平城京では平城宮、平安京では平安宮などといい、大内裏とも呼ばれた。大内裏には四方に12の門が備えられ、各々有力氏族の姓が付与されていた。南門は「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨(へいげい)する最も重要な門であり、朝廷の有力氏族、大伴氏が付けられ「大伴門」と呼ばれていた。714、これを漢風に改め、四神において南方を守護するとされる朱雀の名を冠したものとした。朱雀門から都城正門の羅城門に続く大路を朱雀大路といい、現在の千本通に相当する。長岡京や平安京でも同じ名を冠した門を宮城正門とし、朝廷の正庁たる朝堂院の正門であった応天門などと並んで最重要視されたが、大内裏の衰微に従い次第に荒廃し、ついには盗賊が住むといわれるほどに荒れ果てたという。平安宮朱雀門は先述の朱雀大路の北端、すなわち千本通押小路上がる東側(京都市中京区)にあったといい、旧跡には小さな石碑が立つのみである。平城京朱雀門は、考古学的研究と奈良県下の寺社に残る門を参考にして、五間三戸の二重門がかつての位置に等寸復元されることとなった(平城宮跡)。朱雀門の位置や規模が1964の発掘調査で確認され、翌年に10分の1サイズで模型製作が行われる。その後、1989に決定された基壇の復原工事が1992に終わると、門本体の復原工事は1993に開始され、1998に竣工している。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
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著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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