史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

『歴史歳時記豆知識』65・施薬院(せやくいん/やくいん)は、奈良時代に設置された令外官である庶民救済施設・薬園。「施」の字はなぜか読まれないことが多く、中世以降は主に「やくいん」

シラク院2シラク1『歴史歳時記豆知識』65・施薬院(せやくいん/やくいん)は、奈良時代に設置された令外官である庶民救済施設・薬園。「施」の字はなぜか読まれないことが多く、中世以降は主に「やくいん」と呼ばれた。天平2年(730)、光明皇后の発願により、悲田院とともに創設され、病人や孤児の保護・治療・施薬を行った。諸国から献上させた薬草を無料で貧民に施した。東大寺正倉院所蔵の人参や桂心などの薬草も供されている。また、光明皇后自ら病人の看護を行ったとの伝説も残る。光明皇后崩御の後は知院事2名が置かれ、平安京へ遷都後も、施薬院は五条室町近くに移されて続行し、山城国乙訓郡に施薬院用の薬園が設けられた(『日本後紀弘仁22581133)条)。天長2年(825)には、別当、院使、判官、主典、医師の各1名を置く職制が定められ、延喜式でも継続された。『類聚三代格』所収の寛平8閏正月1789635)付太政官符によれば、施薬院と東西悲田が病人と孤児を収容し、前者は預と雑使が治療にあたり、後者は・雑使に加えて乳母・養母が養っていたこと、院司が預以下を指揮監督していたことが記されている。その一方で平安時代に入ると藤原氏が設立者である光明皇后の実家であることを理由として施薬院の運営に介入を行うようになる。藤原冬嗣が施薬院に食封1,000戸を寄進したものの、その使い道を藤原氏の困窮者の救済に限定させたことが『続日本後紀35月甲子(26日)836613)条に記されている。こうした経緯から別当のうち1人は藤氏長者の推薦によって藤原氏から補任される慣例が平安時代を通じて行われた(残り1名は大外記から補任されていた)。院使は実務にも関与したことから医学知識のある者が任命され、官司請負制が確立される11世紀頃から丹波氏が世襲するようになる[1]。しかし、中世に入ると施薬院は衰微し、次第に形骸化していった。院司は長く丹波氏の世襲であったが、鎌倉時代からは和気氏もこれに加わり、両家の間で争いが起きる。しかし、実務自体はほとんど無くなっており、形式的な職位に過ぎなかった。戦国時代に、丹波氏の後裔である全宗が、豊臣秀吉に側近として仕え、正親町天皇より勅命で施薬院使に任ぜられ、形骸化していた施薬院を復興する。同時に「施薬院」を姓とするようになった。以後江戸時代は、この施薬院氏が院使を世襲した。

※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

 

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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