史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

『河内史跡巡り』真観寺・臨済宗南禅寺派金地院の末寺に三好長慶の墓がある。また応仁の乱で畠山政長の子尚順がこの付近で陣を構えた。

し真観寺0 (2)『河内史跡巡り』真観寺・臨済宗南禅寺派金地院の末寺に三好長慶の墓がある。また応仁の乱で畠山政長の子尚順がこの付近で陣を構えた。その後、大坂夏の陣で焼失し、金地院崇伝が復興した。境内には畠山満家の墓と三好長慶の墓がある。三好長慶は戦国時代の武将で河内・四条畷の飯盛山に築いた飯盛城を本拠とし、その絶頂期の勢力は山城、摂津、河内、大和、和泉、丹波、阿波、淡路、讃岐の9ヵ国に及んだ。
 父元長の討死により11歳で家督を嗣ぎ近畿管領細川晴元の執事から台頭、摂津江口に三好宗三(政長)を討ち、その勢力を拡大。1560年(永禄3年)畠山高政(畠山政長の曾孫)を追放、河内の国の実権を握った。 しかし、嫡子義興ら相次ぐ身内の死と松永久秀の策謀の前に、1564年(永禄7年)失意のうちに病死。 一説にはこれら一連の相次ぐ死は久秀による謀殺ともいわれる。長慶の死は3年間伏せられた後、八尾市亀井の真観寺で葬儀が行われ、境内に葬られた。 その墓はここ真観寺のほか、飯盛山山中の御体塚丸をはじめ、堺市・南宋寺、京都市・大徳寺、徳島県三野町・滝寺(長慶の出生地)、なぜか千葉県銚子市・飯沼観音などにある。 なお、後年大坂夏の陣で、真田幸村の伏兵が当寺境内の藪の中隠れ、徳川家康を不意打ちして、槍傷を負わせ、家康は堺・南宗寺に運ばれたが、そこで絶命したとの伝説がある。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。
★歴史から学ぶ禍根の教訓と未来の道しるべ。

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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