『歴史の時々変遷』(全361回)94”赤坂城の戦“ 「赤坂城の戦い」鎌倉時代末期1331年9月11日に起こった戦い。河内国・赤坂城に於いて、楠木正成が笠置山を落ち延びた護良親王

赤坂4 (2)『歴史の時変遷』(全361回)94”赤坂城の戦“

「赤坂城の戦い」鎌倉時代末期13319月11に起こった戦い。河内国赤坂城に於いて、楠木正成笠置山を落ち延びた護良親王を擁し、およそ500の寡兵をもって約2030万の鎌倉幕府軍とわたり合った籠城戦である。鎌倉時代末期1324後醍醐天皇鎌倉幕府倒幕を計画したが、陰謀が発覚し失敗した(正中の変)。7年後、再び倒幕計画を日野俊基に進めさせたが、陰謀が再度発覚した(元弘の変)。後醍醐天皇は宮中から姿をくらまし、笠置山で兵を挙げ、これに楠木正成が呼応し赤坂城で挙兵した。幕府軍は、後醍醐天皇が挙兵した笠置山を諸国御家人の軍勢を招集してこれを包囲、天皇方は寡兵ながらもよく抗禦したが約1ヵ月後陥落する。その時、楠木正成は自害し、遺体は味方の手で隠されたということにされたが、密かに落ち延びた。笠置山を陥落せしめた幕府軍は、笠置山包囲軍、その他余力を加え大軍を以って赤坂城へと攻め寄せた。赤坂城は「三方は岸高くして屏風を立てたたるが如く」二方の裾を千早川が流れ、西は、佐備谷の深谷が丘陵と隔絶し、僅かに南側だけが堀切になる城郭を構える。幕府軍は何度も、奪回を繰り返し、ついに千早城と共に落城した。★歴史の変遷をたどれば時代を制した英雄伝説にも、栄枯盛衰の定理を教える。

 

 

 

 

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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