『河内史跡巡り』道鏡と河内由義宮・、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮。奈良時代の神護景雲三年

ゆ由義宮2 (2)『河内史跡巡り』道鏡と河内由義宮・、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮奈良時代神護景雲三年(769)から宝亀元年(770)頃まで存続。八尾市八尾木北にある由義神社の境内に「由義宮旧址」の石碑が建ち、付近が離宮のあった場所とされているものの、確実な遺構は現在に至るまで発見されていない。称徳天皇はこの地の出身の僧・道鏡を寵愛し、太政大臣禅師さらに法王に任じ、天皇に準じた待遇を与えた。765天平神護元年)紀伊行幸に際し、行宮を設けて立ち寄ると、弓削寺に参詣した。769(神護景雲三年)和気清麻呂宇佐八幡宮神託事件直後、離宮を建て由義宮とした。離宮は道鏡の郷里である若江郡を中心に、高安郡大県郡の広範囲にまたがって設営された。河内国を河内職と改め、特別な行政地域とし、長官に藤原雄田麻呂(後の百川)を河内大夫に任じた。称徳天皇は770(神護景雲四年)2月から4月にかけてに由義宮に行幸され、そのときに船連浄足ら帰化人の男女230名余が歌垣を催したと続日本紀に記されている。 しかし、8月に天皇は崩御、道鏡が下野国へ下向した直後に河内職は河内国に戻されている。弓削神社(ゆげじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。 付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神である。八尾の弓削神社は、JR志紀駅長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある弓削神社と西側の弓削町一丁目にある弓削神社の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社である。なお、鎮座地は弓削が旧河内国志紀郡、東弓削が旧河内国若江郡にあたり、延喜式神名帳には若江郡の式内社と記載されている。800年ごろの創建といわれる。当地は弓削氏の一族である高僧道鏡の出身地であるが、弓削神社は彼の没後の創建であり、直接関わりはない。かつて東西の社殿の間に久宝寺川(旧大和川)が流れていた。度重なる水害で幾度も流失の被害に遭っていた。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

 

 

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
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著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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