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「神仏霊場巡り」熊野那智大社・熊野那智大社和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山・旧官幣中社・ 当社の起源について諸説あって定かではない。一説には仁徳天皇五年の鎮座

なち「神仏霊場巡り」熊野那智大社・熊野那智大社和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山・旧官幣中社・

当社の起源について諸説あって定かではない。一説には仁徳天皇五年の鎮座と伝えらえている。もう一つの説に裸行上人と伝えら、熊野那智大社と向かい合う西国観音一番札所青岸渡寺の創建の裸形上人と同じである。元々隣接している熊野那智大社も青岸渡寺も明治維新の神仏分離令まで神仏習合の霊地と一体であった。従って祭神が少々複雑、第一殿滝宮・大己貴命(千手観音)★この第一殿は133M大滝が御神体の遥拝殿を指し、★第二殿は証誠殿は家都御子大神(国常立尊・阿弥陀)★第三殿・中御前は御子速玉大神(伊奘諾尊・薬師)★第四殿の西御前は熊野夫須美大神(伊奘冉尊・千手観音)を祀る。この第一殿から第四殿までが主祭神で★第五殿の若宮に天照大神(十一面観音)★第六殿には禅師宮には忍穂耳(地蔵)聖宮には瓊瓊杵尊(竜樹)児宮には彦火火出見尊(如意輪観音)子守宮には草葺不合尊(聖観音)一万宮には国狭槌尊(文殊)十万には豊斟渟尊(普賢)勧請十五カ所には諸神・諸仏を一対づつ祀る。これら神仏習合の本地垂迹思想は平安から鎌倉に掛けて形成され、本来の境地の神道に迹から垂れる意味で法身上、神が仏の形を取って借りに現れることである。化身として表れることである。要するに神仏の融和の象徴で共栄共存の日本人の知恵だったろう。那智大社は熊野三山に二山と違って那智山中の一の滝、二の滝、三の滝の中でも三滝の大滝を信仰の対称としている。また早くから役子角は当地を第一の霊場と定めて修行をした。また花山法王が熊野御幸した時には滝籠りをされた。平安時代には蟻の熊野詣と云われ京都から公家、上皇、天皇まで列をなして熊野詣がなされた。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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