「西国四十九薬師巡り」元興寺・真言律宗 通称・極楽坊・奈良市中院町●わが国最初の本格的伽藍寺院の伝統

が元興寺4 (1)「西国四十九薬師巡り」元興寺・真言律宗 通称・極楽坊・奈良市中院町わが国最初の本格的伽藍寺院の伝統、旧奈良市街の中心部「さるさわ池」の南方は、「ならまち」と呼ばれる古い町並みがのこ遺る地域です。その一画に世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつに登録された元興寺がある。元興寺は「佛法元興之場、聖教最初之地」と称されるように、わが国で最初の本格的伽藍寺院であった法興寺(飛鳥寺)を前身とします。法興寺は、崇峻天皇元年(五八八)、奈良県高市郡の飛鳥の地に、蘇我馬子や聖徳太子が中心となって、「佛法興隆」を願って開創された蘇我氏の氏寺でした。その後、大化改新等による蘇我氏の滅亡、律令制度の整備、積極的仏教政策が行われる中で、大寺に準ぜられ、藤原京の四大寺のひとつに列せられることとなった。和銅三年(七一〇)、平城京への遷都とともに、旧都の諸寺院が移されましたが、法興寺は、養老二年(七一八)に官大寺の元興寺として、この地に新築移転されました。すなわち、「ふるさと古郷のあすか飛鳥」と「なら平城のあ明す日か香」が生まれ、飛鳥寺は「本元興寺」「新元興寺」の二寺並立となり、法興寺の呼称は元興寺に統一されていきました。元興寺の新たな大伽藍は、春日山系の西南台地、平城京の東(外京)、さるさわ池をはさんで興福寺の南に営まれました。金堂(弥勒仏)、講堂(薬師仏)、東大塔院(五重塔)、西小塔院(百万塔)、僧坊等からなる結構な伽藍は、鎮護国家仏教を象徴するもので、三論・法相を学問する場でもありました。平安時代半ばまで、南都七大寺の重要な位置を占めた元興寺も、政治経済の変化により寺運が衰退し、伽藍・堂塔の解体・分散を余儀なくされましたが、霊場寺院へと変化しながら命脈を保つことができた。その中心が僧坊に遺された「智光曼荼羅」で、奈良時代の学僧智光法師が感得した極楽浄土図への信仰であった。後に「浄土三曼荼羅」の随一とされるこの図は、単に浄土教のみならず、密教や諸宗の教学上も注目され、僧坊は大改築されて、極楽堂(曼荼羅堂)、禅室(春日影向堂)となり、室町時代以降は、真言と戒律を重んじる霊場となり、庶民の信仰の聖地とされてきたことを、多くの文化財によって知ることができる。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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