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「西国四十九薬師巡り」新薬師寺・華厳宗・奈良市高畑町・霊験あらた新かなお薬師の寺。新薬師寺は、聖武天皇が盧舎那大仏建立中

し新薬師寺k (1)「西国四十九薬師巡り」新薬師寺・華厳宗・奈良市高畑町・霊験あらた新かなお薬師の寺。新薬師寺は、聖武天皇が盧舎那大仏建立中に病を患われ、病平癒のため、天平十九年(七四七)に光明皇后によって建立された。新薬師寺の「新」は新しい古いの「新」ではなく、霊験あらた(新)かなお薬師様をお祀りしたとして、名付けられました。創建当時には、四町四方(一万二千坪)の境内に金堂、西塔、東塔等伽藍が並ぶ大寺院で、寺に住む僧一百人と記録がある。三十三年後の宝亀十一年(七八〇)に、西塔に落雷。瞬時に炎上、現本堂が焼け残ったのです。鎌倉時代には、解脱、明恵両上人が一時当寺に住んで再興に意をつくされ、東門、南門、地蔵堂、鐘楼の諸堂が建立されました。徳川時代には、家康筆の印璽をもって寺領百石が与えられ、全国から参詣・参籠する人々数知れずと伝えられています。往年の盛時には及ばないまでも、その名残りを保って現在に至っています。薬師如来(平安初期・国宝)は一本彫成で、平安初期の代表作です。特に肩から胸に流れる衣紋は素晴らしく、大きく見開いた切れ長の目、堂々たる体躯、まさに密教精神の具現といえます。古来より眼病、耳病の仏として霊験あらた新かです。この仏の前に立つとき、誰もがいいしれぬ威圧と荘厳を感じることでしょう。十二神将(天平時代・国宝)は、薬師如来の家来であり、剣、弓、矢などそれぞれの武器を持って威嚇する姿は、畏敬にあたいします。土の素材を生かして顔面の筋肉の起伏がデリケートに表現されています。造立された当時は群青、緑青、朱、金箔などで彩られた実に華麗なものであったと思われます。十二神将は、それぞれ干支の仏であり、ご自分の干支の神将にお参りされる方も、多くいると言う。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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